やっぱり、観音様は一人一人の中に…

 
先日、機会に恵まれて、曹洞宗の和尚の講話…というか、講義を聴くことができた。

その後で、本屋さんで禅宗のコーナーをのぞいたら、著作がズラッとならんでる、有名人だった。

私には、禅庭のデザインも手掛けるご住職…としか認識がなくて、
A5(?)横長の変形サイズの、写真と文章半々位の本を購入したような覚えがある。

あの和尚かなぁ…?と、講演を聴にいった次第。


講演も滑らかで、かといって立て板に水…ではない…
ちゃんと聴衆に寄り添って、進めている。

落語の起源は、和尚の講話だという説もあって、
ただ、仏道の修行だけしていればいいわけではない。

否、聴衆や相談者の心をほぐし、自性清浄心に本人自身が気付き、日々を安心の中に過ごす方向に導く。

こう思い当たったら、あら、これって、観音様のお働き?
そうして導かれたひとが、また他のひとを安心に向かうべく導く時、
その人はその時、観音様のお働きの一端を、実践してるんだね。

そうだよ、やっぱり一人一人の中に観音様はいらっしゃる。


あまり耳新しいことを聴いたという感じはなかったし、
講話の本題や、もしかしたら和尚の話からも外れていたかもしれないけど…
(和尚、ごめんなさい)

まるで、観音様から
「大丈夫、ちゃんと一人一人の中に私はいるからね。
例え誰かに笑われたって、その事は確信していていいんだよ!
誰もが、そこにいる必要があって、役目があって、そこにいるんだよ!」
そういって微笑んでいただけたような気がした。