SDGsは、必ずしも特化されたり、難しくある必要はない。

先日NEWSで聴いて、そのままにしてしまっていた。

中村哲氏は、アフガニスタンで現地の人達と共に、荒れ果てた大地で灌漑を推し進め、数千もの井戸を掘ってきた。

医師として一人一人の不調に向き合うことで、沢山の命を救うことができる。

けれど、氏はもっと根本的なあらゆるアフガニスタンの人達の救命のために、灌漑と井戸に眼を向けた。安全で、豊かな水が必要だと…

自らようように入手した重機を操り、どのようにその作業を進めるのかを、集まってきた現地の男に示した。

また、どうやって人力で灌漑作業を進めるのがいいのか、現地のやり方を聞き出し、互いに検討(ディスカッション)を重ねたはずだ。

重機が潤沢にあるわけではない。最先端の資材があるわけでもない。

ただ、昔ながらの資材を用いて、大がかりな機器を使わず人力で、丁寧に灌漑作業を進めた。

見事に大地は緑を取り戻し、感染に怯える必要のない水を現地のひとたちは得た。

仮に資金が潤沢にあって、最新の機器と、現地では簡単に入手できない資材で、突貫工事で灌漑作業が完了したとしよう。

けれど、それでは物が揃わないと、インフラのメンテナンスができない。

現地で簡単に入手できる資材と、現地の男たち数人がかりで、力を合わせた手作業や、小回りの効く重機で対応するのであれば、綻びが小さいうちに簡単に修復できる。

支援というと、お金を出したり、最新技術で短期間で仕上げる方向に走る。

確かに、完成した時は華々しく評価される。

経年劣化したらまた造り換えればいいと…

勿論、経年劣化はさけられない。けれど短周期で、簡単に入手できる資材と人力で充分なメンテナンスを繰返して、劣化を抑えることはできる。

中村哲氏が遺そうとしてくれたのは、そんな大地に活きていくインフラだった。

なまじな文化遺産以上の、活きている遺産なのだ。