今週はこの街の 夏まつり のはずだったが…

 

本来ならば、今はこの街にある総鎮守社の例大祭

街の中心部へ御輿の巡幸があり、各地区の山車も集まってくる。某老舗デパートの前の大きな四ツ辻に御輿が並び、その前で山車ごとに踊りや囃子が披露され、我々もご相伴(?)に与るのだが…

残念ながら、去年に続き今年も、神職や限られた人たちだけのひっそりとした御祭(みまつり)になった。本当に爽やかな、今日の良い天気なのだが…

 

人が集まる中心会場は、また別の場所で、ももたろうがアオサギに出逢った、あの公園だ。やはり子供のころからこの街で育った人には、あちらが本会場だろう。

一方、神社の方は様々な奉納行事があって、神門内に設えられた舞台では、雅楽やら神楽、巫女舞い、等々が行われる。

神門下の少し離れた所では、猿回しなど、庶民向けの芸能が披露される。もう少し離れた土俵では、フォークソングなどステージ設備が必要なものなどが披露されるのだが…

 

それが、全てない。まるるんはここで奉納される雅楽と神楽の大ファンで、去年の秋には既に 禁断症状だあ〜 とぼやいていた…

 

夏越祓いも、昨年に引き続き神事は神職のみ…との報せ。茅の輪だけは、潜らせて貰おう。

 

大学の初夏の風景

 

昨日は、獣医学部の近くでポプラの綿毛の大襲撃に会った。やや強い風に吹かれて、視野いっぱいに雪のように流れて…爺ぃは綿毛まみれになる。

綿毛は更に路上で風に吹き寄せられて、まるで犬か猫の抜け毛のようになって吹き溜まっていた。

 

ポプラの綿毛襲撃を逃れると、今度はマスクを透して、甘い香りが流れる。辺りを見回すと、高いニセアカシアの樹に、白い花房がびっしりと揺れていた。蜜の香りだ…

数本の樹でも、枝を広げて隣り合っていれば、とんでもない数の花房が揺れていることになる。その数本のグループがそこかしこにあるので…見事なものである。

 

綿毛…白…で連想して、羊も見に行った。広い農場で、学生寮近くの方にいることも、南の花木園の方にいることもある。畜舎は花木園側のようだ。

子羊もまだ親より二周りほど小さいが、たまに母羊に乳をねだるも もういい加減にして! なのか、はたまたよその子羊なのか、激しく拒絶されるチビもいる。

 

今日は、オシドリ池を廻り、反対側のせせらぎで今年初めて、オシドリファミリーに会えた。雛は随分大きくなって、そのせいか、まるるん命名オシドリ母ちゃんが、随分小さく見えた。

 

戴冠ミサ曲

 

FMで全国のNEWSを聴いていた。

その後の地域のNEWSを上の空で聴き逃してしまい、スクランブル交差点で電源を切ろうと、ポケットから取り出そうとすると…キリエの合唱が流れてきた。

聴き覚えのある旋律…番組の始めの解説を、これも聴き逃していた。耳をそばだてる。

あぁ、戴冠ミサ…モーツァルトだ。随分前、まるるんが合唱のアルトパートを、ぶつぶつと練習していた…と思い出していた。

番組の最後に、このコロナ禍でソリストは通常と異なる位置にたち、団員たちは間隔をとり、マスク姿でこの演奏会が遂行された、と。

 

手拭い擬きの、差し入れ…

 

ポリ袋に二枚の手拭いとももたろうのメモ…昼頃に郵便受けに入っていた。

ラベルには、てぬぐいタオルと書かれていて、広げてみると以前にまるるんが よき(斧)こと(箏)きく(菊) の手拭い擬きを呉れたのと、同じメーカーと思う。

サラシの手拭いよりもっと太い糸の少し粗い織りだ。カラカラに乾いていると吸水量が多く、厚手の手触りだが粗いから乾きも早い。

この手拭いタオルは、本物の手拭いではない…長辺はミミはなく、四辺にミシンがかかっている。このメーカーの凄いところは、生地の裁断がほぼ歪んでいないことだ。

100円ショップの布製品は、織り上がって糊付けされた生地をそのまま矩形に裁断して、それをミシンがけしている製品がほとんどだ。

裁断時に歪んでいても無視なので、洗濯後は平行四辺形ならまだましで、隅を合わせて畳むことが叶わないこともある。

このメーカーのは、洗濯して例えうっかり乾燥機にかけても、四隅を合わせて平たく畳むことができるほどだ。

 

ももたろうが爺ぃに選んでくれたのは、龍の柄。紺地に柄が白抜きのものと、灰地に柄が黒のもの。

ももたろうは風神と雷神の柄にしたと…まぁ、男の手拭いに相応しい柄か。

 

今日の巡り合わせは…(更に続き)

 

先ず、自分が今のところ出来ることをやるんだ、と少年は気づいた。全くできない事ややったことのない事をすぐにやれとは、そんな無体なことは誰も要求したりしていない。

やがて少年の両親に笑顔が戻り、心底望んでいた本当の幸福(それは決して、単なる裕福さを指すものではない)が訪れた。

それは、スケールを広げれば、清潔な飲料水が当たり前に得られ、豊かな大地にたわわな実りを得ることで、病に苦しむ人が減ることを目指した、中村氏の努力とたがうものではないだろう。

 

中村氏に嬉しい報告をしにいった少年と、中村氏は一緒に喜ぶ。

そして、少年にやってご覧…と勧めた話の一部は、比喩と方便(という表現はしていないが)だから、その通りにならなくても構わないのだと。

自分で考え行動し遂行した少年を、心底嬉しそうに中村氏が称える光景が浮かぶ。

 

絵本が手元にないので、爺ぃの思い違いもあるかもしれない。ただ、病に苦しむ人を減らし、心の荒み軽くし、憔悴した表情を笑顔にしたいという、中村氏の大発願を氏自身が行動して、叶えているのだ。

 

今、自分が出来ることをまずやり、出来たら次のレベルを目指そう、と。爺ぃは頷いた。

 

今日の巡り合わせは…(続き)

 

マスクの下でそのサビを唄って歩いていると、ふとWebのNEWSで見かけた、中村哲氏の襲撃事件の記事が浮かぶ。誘拐するのが本来の目的だった、という供述がまるでゴーグルに映し出されたように、爺ぃの視野に重なった。

 

あっ…と、脇に寄って立ち止まる。犯人側に、あらゆる有利な条件をもたらす人質に使うとすれば、納得できる襲撃だ。

 

けれど、次の瞬間に夏の青空をスクリーンにして浮かんだのは、中村氏とかかわりをもった、一人の少年を描いた、一冊の絵本だ。

貧しい生活とその悪循環で少年の両親からは笑顔が消え、兄弟喧嘩ばかりしている少年たち…

少年がどうしたらいいのかな、とアドバイスを受けにいく中村氏は、重機を操って水路を開き開墾をすすめる先陣をきっている。

もちろん、医師である中村氏ではあるが、清潔な水を得、豊かな実りをもたらす緑の大地にする事が、病人を診て手当てをする以上に重要と判断した。自ら指揮を執り、また重機を使って開墾の行動をやってみせる。

 

ネタバレになってしまうので、詳細は省略するが、中村氏は少年に比喩と方便を用いて(いると思う)、自ら解決の道筋を見つけるように導く…やってご覧、と。

 

今日の巡り合わせは…

 

一概に歳のせいとは思えないが…夜中に眠れなくなってきた。何せ、夏至も近いことだし…緯度の高い北国では、爺ぃが育った東京よりもはるかに、冬至夏至で、陽の射す時間の差異が大きい。

真夜中の3時、すでに東の空は明るく、かなり北に振った空から陽が昇り、徐々に北の窓には斜めに陽が射してくる、といった具合だ。

だが、5時半辺りからまた猛烈に眠くなってしまう。陽は既に高い位置に昇っているので、かえって窓の外の明るさは和らいで、ここでぐっすり眠りこけてしまう始末だ。

 

話は変わる。今日は真夏日…確かに暑い年は、この時期に夏日になることはある。だがまだ6月半ばで真夏日は辛い。昼を少し過ぎると、ビルの連なる西側の歩道には、日陰が続く。そこを歩いていると、窓を開けて停まっている車から、ラジオが聴こえてきた。

♪そうさ、100%勇気、もう頑張るしかないさ と 忍たま乱太郎(?)のテーマソングだ。昔、たまたま作業場所がマンションだったことがあり、夕方になるとベランダ越しに、何処かの部屋から聴こえていた。

聴こえてはいたが、テレビの音がうるさかった覚えはない。もう20年近く前だろうか…思わず小さくくちずさむ。