今月のおみくじ

 
今月もよい御神籤をひかせていただけた。

ただ、「短気に気をつけるんだよ!」と。
は~い。

さて、裏返して、今月の神の教は?

 いつもにこにこ感謝の気持ち、家もあかれば、身もひかる

思わず、にこにこして感謝できるのは最高な気分、だよね!


感謝は大切。
だけど、「感謝しなければならない」は、ちょっと否定的。

開運のオールマイティーなおまじないの感謝の言葉だけど、
「感謝しろよ」が見え見えなのは、わたしには不愉快極まりない。
おもいっきり、そういう顔をして、口先の礼だけ返す。

「あなたのためを思って」、そんな余計な言葉を吐く必要があるんだろうか。
自分が嫌われないように言い訳してる、単なる保身のための接頭辞?
恩着せがましくて、見苦しく、聞き苦しい。


本当にその人のためを思って出た言葉ならば、
「差し出がましくてごめんね。
それは、~なんじゃないかとわたしは思う、どうかな?」
そう忠告してくれる人(特に、全く知らない人)に出会うと、
うわぁ!この人は今、観音さまモード全開だぁ!と秘かに感激する。


神といい、仏というは、すべてこの身の内にある。
だから、「あぁ、この人を助けたい」と正しい想念から行動を起こせば、
その瞬間にはその人は観音さまになっている。
観音さまは、いつもその人と同じ高さで諭す。
子供には、子供にわかる言葉で、
蛤に説くには、蛤の姿になって。

だから、その時に必要とされている命が、必要としている命の傍らに在るようになっている。
それはシンクロニシティと認識されている。

あ?そういえば、命と書いて「みこと」と読めば、日本の神さまだよね。
そうか、そういう働きをしてるときは、確かに一人一人が神さまでもあるねぇ。


一人一人が、宇宙を根本とするそれらを構成する大切な1ピース。
だれが欠けても、不完全になってしまうのを忘れないで。

もちろん、新陳代謝はある。
だが、役目を全うして休息に入る以外に、強引にそのピースを引き剥がす権利など、誰にもない。
思いあがりも甚だしいし、自分の命と引き換えに行ったとしたら、
犠牲者と自分のピースを無理やり引き剥がしたことになる。

引き剥がしたり、引き剥がすことを唆した者には、
神の恩寵など決してありえず、罪だけが永遠に残る。
多分、再び1ピースとなることも許されないのではないか。