「神さまは、ありがとうなんて仰有らない」なんて、あり得ないと思う

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先日のヘビー級低気圧の大風で、この街の樹の枝がへし折れたり、
ぷらんぷらんだったり、ファジーな状態の枝が危険。
次の低気圧が来た時や、積雪が始まると、枝ごと頭上に落ちて来る可能性が…

ちょうど冬に向けて、電線まわりの街路樹の枝の切り詰めに加えて、
電線に関係なく、危ない枝対応もあって、
街なかで空中の作業用のワゴンを搭載した車に頻繁に会う。

大風で落ちたのか、伐採で落ちたのか、青い未熟な松毬。
高い枝にあって、なかなかお目にかかることもないので、
結構傷だらけだったけど、パチリ。



神さまだって、「ありがとう」は仰有います。

むしろ、神さまだからこそ!
例え言葉にのらないことがあっても、その余韻のなかで…

「神さま、試験に合格しました。ご加護頂き、お導き頂き、お力添え頂きまして、本当にありがとうございました。
取るものも取り敢えず、嬉しくてご報告に参りました。」
と、申し上げれば、

「うん、うん、本当によく頑張ったな。
君が一生懸命頑張ってきたから、合格できたんだ。
わたしはただ、君を力一杯応援してきただけだよ。
本当に、おめでとう。
忙しいのに、わざわざ直ぐに報告に来てくれて…本当にありがとう。」
「わたしもとても嬉しいよ。
もしかしたら、君よりもわたしの方がもっと嬉しいかもしれんなぁ。」
「せっかく合格できたんだ。
それをたくさんの人たちのために、役立てて欲しいんだよ。
どうか、頼みましたよ。引き受けてくれるね?」


神さまに喜んで頂けて、「ありがとう」を頂けて、
おまけに、お願いまでされちゃったら、もうメロメロですよね。

おめでとう!合格できた君!
君がわたしを知らなくても、わたしは君を応援するよ。
そして、これからの君の努力に感謝します。どうもありがとう。