印象的な1日だった…(その1)
今日は、ドキュメンタリー映画の上映会&監督の講演があるので、
久々に、植物園の向かいにある、ホールに出かけた。
ここのホールに入るのは、何年振りだろう。
開場まで、小一時間あると判明、当日券をもとめて、いったん外に出る。
朝出かけるときから、天気は快晴で、風が心地いい。
なんか気分は、ウキウキ…なんでかな?
難をいえば、陽射しが痛くてヒリヒリするので、傘を広げてしのぐほど…
中心部の公園で開催中の、食のフェスティバル会場で、
ちょっと軽く、腹ごしらえ。
和風メンチカツなるものにかぶり付く…もぐもぐ…
うまうま…うふふ、幸せ~!
その満足の気が溢れでてるのか、単に陽射しのせいなのか、
再度ホールに向かうときの、建物のガラスに映ったわたし、
なんか輝いてるよ~ッ!
上映されたテーマは「樹の精霊の声を聴く」
能面「阿古父尉」の復刻、
楽器として新しい生をつなぐ樹、
そして、森は海の恋人…
それぞれが、3.11に関わりをもっていた。
心を打たれるシーンが、幾つもあった。
だけど突然、涙がぼたぼた落ちたとき、それは本当に個人的な感情だった。
海を豊かにするには、山に樹を植えて環境を整える。
本当に奇しくも、3.11をはさんで、それは行われていた。
その中で、4年に一度の神社の大祭のシーンがでてきた。
その神社はその昔、熊野の神さまを勧請したと聞いたとたんに、
目の前のスクリーンとは別の、わたしの中のスクリーンが、
バンっと開かれて、涙が溢れはじめた。
スサノオ命。
暴れん坊で、高天原を追放されて、でも、櫛田姫のために大奮闘する。ここまでが、子供の頃のイメージ。
そして、大人になってから知ったのは、
熊野の神さまの頼もしさと、優しさだ。
穢れているとして、神域で拒まれていた、
女性と、ハンセン氏病のひとを、
熊野の神さまは、拒まなかった。
そして、関東から東北にかけて、熊野の神さまを勧請したときに、
神さまのお供をして一緒にやって来てくれる神職者は、
同時に農業や漁業の技術指導者でもあったと聞いている。
熊野は、山のなかにある一方、また熊野水軍の故郷でもある。
そういう知識や実技(技術)を持っている人間がやってきてくれれば、
村人が相談を持ちかけるのに、何より頼もしい存在だったはずだ。
映画の内容とはかけ離れているけど、
熊野の神さま…熊野の神さま…
胸のうちでそう繰り返しながら、ただ涙がぼたぼた落ちた。
だけど、悲しい涙ではない。
ちょっとせつないけれど、それは安堵の涙なのが、はっきりわかる。
その時、不意に父がそこにかさなった。
父はわたしの高校卒業のほんのすこし前に、呆気なくなくなった。
色々な事情があって、
わたしはすでに、父に寄りかからない進路を決めていたし、
それでも、わたしは父親っ子だった。
熊野の神さまと父を並べては、失礼にあたるとは思うけれど、
熊野の神さまのスケールを小さくして、勧請のときに同行してきた神主さんを重ねると、
わたしにとっては、その信頼感が父と重なると気づいた。
涙とはうらはらに、胸のなかがあたたかかった。