魂の夜明け の後書き(?)から、本屋さんの棚の間で諭された…(続き)
爺ぃが補足する…
今の自分が持っている能力は、自分のために使って当然。自分に利益がなければ、他人のために使うなんて愚の骨頂!と言い放つ輩がいる。あんたの方が愚の骨頂だろうが!と、胸ぐらを掴みたい衝動を抑えるのは、血圧に負荷をかける…用心、用心…
勿論その能力を得るのには、桁外れの努力とお金もかけたかもしれない。
けれど…それを支える、体力と智力と精神力と、何とか生き抜ける経済力に、本当に有難いことに、自分はギリギリ足りるだけの分ですが、恵まれたのです…そう語ってくれた青年がいた。
その時の爽やかで軽やかな雰囲気――決して造ったものではない――に、惚れ惚れした。まだ王子だった釈迦が、悩みに沈んでいた時に城外で出逢い、出家という選択肢に我知らずに導いた修行者は、こういう人物だったのかもしれない。
かろうじて恵まれたからといって、皆がそれを掌中におさめられる訳でもない。天分だと言ったら身も蓋もないが…
大事なのは、折角掌中にしたものは活用すること。自分自身にも、更に余力の許す限り、必要とする人に惜しまず振舞うこと。
間違えるなよ。それを得られたのは、皆に活用するためだ。