N正宗の公共の場でのお声かけ(?)が、最近頻繁過ぎて、非常に不愉快!
昨年位から、この街でN正宗の人の呼び止め頻度が日に日にとんでもない。
まだ昨年のうちは、とあるN正宗の寺近くの幹線の歩道を一人で歩いていると、
数人の団体さんで行動、うち一人が声をかけてくるパターンだった。
一応、観光客も多いこの街だから、道でも訊ねたいのかと、立ち止まると、そういう訳である。
かなり頻繁になってきて、あんまりにも不愉快なので、
不便だけど、その道を極力通らないようにした。
でも、立ち寄りたいお店もある…
ある日、またそれっぽい一団が現れたので、やり過ごすように脇に寄ったら、
なんと歩道を立ち塞がれて、やっぱりそういう訳である。
いつもなら、不機嫌に目をそらすだけで我慢してたけど、
この時はさすがに睨み付けてしまった。
でも「すみませんでした」とか「ありがとうございました」を言葉に添えれば、
それで済まされると思ってる相手は、平気のへいざだ。
先日は地下街で、声をかけられた、それは勧誘だよな。
そういう行為は、地下街や地下通路では公の条令で禁止されてるんだが。知らないのか?
さっき、ショッピングセンターでも、媚びるように声をかけてきた。
ここまでくると、気持ち悪いくらいに不愉快。
駅の近くでは、信号待ちのひとに、無差別に声をかけてる女性もいた。
近寄られただけで、不愉快。
相手にしないに限るのか?
でも、こんな調子で日に日に不愉快な思いを繰り返させる彼らに、
確実に生霊(いきすだま)の片鱗を飛ばしてしまう。
それが、彼らのもくろみなのか?
生霊を飛ばすと、手持ちのエネルギーが減るから、自分のダメージも大きい。
はあ、これでも平常心を保てと、生霊は飛ばすんじゃない(資源は大切にしろ)
という修行が課せられたとみえる、私には、きっと…
世界中で、同じようなことがあり、エスカレートすれば殺戮も何とも思わぬ。
自分たちにこそ、大義名分がある、と。
自分達の仲間を増やそうと、いや、そう指示され、また発願する。
けれど、そこに線が引かれる。
パレスチナとイスラエルの反目を、例えば宗教に置き換えたように、
自分たち(だけ)が正しい、仲間でない奴等は、敵でしかないと、
地獄に落ちろというところまでエスカレートすることもある。
清浄な白い蓮華、その本質は仲間たちだけで幸せになることを言っていない。
皆で一緒に幸せになることを説いている、と理解している。
自分たちの仲間だけ、仲間であれば、で線引きしようとする事自体が地獄をつくる。
宗教団体から抜ける時、大概の人が止めの一言に「あんた、地獄におちるよ」と脅されたという話は、嫌というほどに沢山聞く。
地獄は脅した側の人間の身の内にこそある。愚かである。
去ろうとしている相手に、
自分の身の内に見えている地獄に落としてやる!と生霊を飛ばしているのだ。
どちらが本当に罪深いのか?答えは明らかである。
相手を落とす地獄を身の内に持つなど、とんでもないことだ。
出張先で繰り返し入院した時、
別の宗教団体の会員の女性だったが、その経典の信者以外は皆地獄におちればいいんだと何度も言っていた。
私は、言いたかった。
その経典は、皆で幸せになろうと言っている。
あんたは、口に唱えるだけで、その経典の主旨を毛ほどもわかっていないではないか、と。
そう、そんな大切な主旨を、誰も教えないのだろうかと、
身の毛がよだつ思いだった。