きのうの、FMシアターで、ひとつわかったこと

 
昨夜のFMシアター(単発のラジオドラマ)、聴いてて文字通り、ドラマの渦中で立ちすくんだ。

ストーリーは、ホームページを読んでみてくださいませ。


周囲(物理的に)の人々が、
いさかいあったり、
他人の悪口で盛り上がったり、 一方的に罵ったり…

そういう波動をもろに被ってしまうと、
過呼吸に陥ってしまう女子学生が主人公。

それを回避するために、彼女は苦心工夫の末、
他の人と距離を保ち、結果「ういた」存在になっている。


え?この子とわたし、似てる。
そういう波動に、身体も精神もとっても過敏なとこ、そっくりだよ、わたしと。


ただ、わたしは「三十六計逃げるが勝ち」を実践する事を、
小さい時に覚えたから、多分過呼吸にはならなかった。

さもなければ、子供の頃は、
罵りあっている当事者でもなく、罵られているのがわたしでなくても、
とにかく大声で泣き喚いた。(過呼吸の代替だったのかも…)


今は、とにかくその場をはなれる。
そんな波動に身を曝していれば、心臓がゴリっと音をたてて、吐きそうになって、
大袈裟でなく、確実に寿命が縮まる。


それは、ドラマではあったけれど、
そうか、世の中でわたし一人がそういうものに過敏なんじゃないんだね。


母親の言い分は、こうだった。
お前が馬鹿だからそうかんじるんだ。
少しばかり勉強ができたって、お前は、本当に馬鹿なんだから、
恥ずかしいから、普通なれ、
見た目だけでもみっともないのに!


話の展開が理解不能だったけど、わたしはそう言われ続けて、子供ながらにひとつ悟った。

この人には、許可を貰う必要がある(日常が成り立たない)けど、
相談をもちかけたり、ましてや悩みをきいて貰う相手では決してない。と…


父親は、母親が喰ってかかることがあっても、相手にしなかった。
父親は、わたしがそれをどれだけ嫌っているか、
どんなに苦痛なのかを訴えなくても、わかっていてくれていたのだと思う。
多分、なんで泣き喚くのかを、合点したのだ。

父親は無言のままで堪えて、ただ黙ってわたしを愛していてくれたんだ。
さっき、そう気づいた。

お父ちゃん、ありがとう。