功徳って・・・どんなものだと思いますか?

 
「功徳」自体は、「正しき善き行い」をするってことですよね?

でも、「~の功徳で」とか、「徳を積む」とかいいますね。

そりゃあ、悪いことをせず、かつ良いことばかりたくさんしてれば、
他人も放ってはおかないでしょう。
良いことが身辺に起こっても、不思議もないですよね。


でもね~、まるるんは、この世間で言うところの
「功徳」とか、「徳積み」に、なんだか釈然としないものを感じてるんです。



「あなたの徳を積むことになるから」と、寄付を迫られたとしましょう。
ま、今とってもプアなまるるんに言っても、無理だよ~~。

「死後、極楽にいける」とか、「来世金持ちになれる」とか、
「現世での財産なんか、あの世には持っていけないんだから」とか・・・

ね~え? 徳を積むって言うのは、その先にあるものを目当てに積むわけ?
その先って言うのが、死後とか、来世とか、直近でないところがミソなんだろうけど。


徳って、ポイントカードみたいに貯めていくものなの?
量ることのできるものなの?

他人が、量るのは勝手だし、
神仏はお見通しって言うのも、否定はしないけどね。



「正しい善い行い」は、アクションを起こせたその時その時に、
履歴を捨てていいんじゃないかな。
もちろん、アクションを起こして、完遂できるまでに、
試行錯誤、種々工夫してやっとできたとしたら、
その経験こそが、積んでおける財産でしょう?

見返りを思って「徳を積む」なんて、まるるんの思考の中では、邪道です。



「積んだ徳」は、何に転化できるのか。答えは簡単です。
また、徳を積んでいくための、経験として、エネルギーとして、転化できるんです。
かくして、正しい意味での「徳積み」ができている人は、
さらに「徳積み」ができるんですね。

「徳積み」の名人 - 何の気負いもなく、サラサラと、「正しい善い行い」ができるようになるんです。
そうやって日々を送れることが、唯一のほんとの「見返り」じゃないかと。



え? もちろん、まるるんは・・・ まだ初心者マークですけどね。
いやいや、まだ見習い段階かな。




今は、親交を絶ってしまった知人に、世話好きな人がいました。
確かに、その人は悪い人ではないし、むしろみんなの面倒をサラサラと見てあげられる人でした。

でも、まるるんが耐えられなくなってしまったのは、
「~してやってる(やった)のに」とか「感謝ぐらいしろ」とか、言うのです。
その時の憤りは、もちろん私に対してのことではないのですが、
まるるんは、ゲンナリしてしまいました。


最近、その人の憤っていたときの声や表情が思い出されて、
ああ、今頃「あんなに面倒をみてやったのに!!」と?

ううう、うっとおしい。