森羅万象のなかに、それはある。(その1)

 
先週の木曜日に、レディースディだったので、
レイトショーで「ノア」を観られるかな、とシネコンに行ってみたら…字幕だった。
字幕スーパーでは、目がついていけない。


今週の週間上映スケジュールと、
ノアを含めて、チラシを貰ってきた。


今週の土曜日から上映が始まる「トランセンデンス」のチラシを読んで、
暗たんとした気持ちになった。

映画のストーリーに対して、ではない。

次々と、コンピューターに任せていって、私たちの未来は明るいのか。
今のままでは、答えは「否」。
断言できる。というか、残念ではあるけれど、断言せざるをえない。



メンタル(精神)までを、コンピューターに持ち込むことは、
文字通り、神をもおそれぬ所業。



そういえば、「地球(テラ)へ」で、ホストマザーとよばれる万能絶対の神に等しい、コンピューターが存在した。


今ここでは、このコンピューターを「絶対神」「唯一神」の代用、
つまり、人間が逆らうことが出来ないものとして、話を進めてみたい。



ただし、申し訳ないがわたし自身は、
神は万物の中、森羅万象の中に存在していると考えている。


更に、わたし自身を含めた、全ての中に存在するので、
それは、ジグソーパズルのように、1ピース欠けてもいけない。
欠けてはいけない理由は、1ピースごとに、ちゃんと役割を持っているから。

主義主張や、信仰が違うからと殺しあってる場合じゃない。
同じジグソーパズルを構成している、大切な1ピースを自ら潰しているに等しい。
それではいつになっても、パズルは完成出来ない。



人間を含めた森羅万象のそれぞれに存在するから、
それぞれの得意なことに力を発揮して、互いの役に立つことができる。


ここが大事なのだけれど、互いの役に立つということは、
万能はあり得ないし、ある必要も全然ない、ということだ。


このジグソーパズルが完成したものが、全知全能だと考えている。



何かを施されたから、服従する必要はないし、
施しをエサに、服従を強要するなんて、勘違いも甚だしい。
まして、「恩を売る」なんていうのは、言語道断でしょう?


万事が金銭で解決できる、黙らせることができる、
そんなことを考えているなら、国の予算じゃなくて、発言した人が自腹でやって欲しい。

もし撤回のするなら、その旅費も自腹だよね、当然。