今日は、例祭だった。

今日はこの街の旧運河沿いに、信州のあの大きな湖の近くからおいで頂き、鎮まって頂いた神社の祭礼。

今年は鎮座から十年単位の周年にあたり、藍色だろうか、周年を明記した新調の祭礼の幟が、両岸に幹線道路を従えた川の風に、翩翻と美しく翻る。

天気は崩れるまではいかないが、青空に秋の雲が広がっては流れ、また現れる。龍に見える雲が次々と現れた。

自分の目に認識できる龍は、厳めしさは殆どない。優しい表情で街を、神社と祭礼にやって来た人たちを嬉しそうに眺めている。

参拝者が並ぶので、拝殿前では鈴と賽銭だけにして、正面からはるか外れて祈念する。

自分の分の感謝をしてから、今日の御祭(みまつり)に参拝にこられず、様々な理由で気持ちを向けるいとまも持てない方に成り代わって、僭越ながら感謝致しますと、申しあげた途端に感極まって涙がこみあげる。

あぁ、受け取って頂けたのだな、とホッとした気持ちが優しく広がった。今日は参拝に立ち寄れて、よかった。

御神籤をひく。祭礼の日は、殆どの神社で佳い籤が多くなっているとは思うが、いい籤だった。

日照りでもう枯れ果てるかと思われた作物に、夕立が降り注ぎ、間一髪で生き返り収穫ができる、というものだ。

大丈夫だ、心乱さず要らぬ心配せず、やるべき準備をしておきなさい。

そんなふうに、肩を叩かれた気がする。

ありがとうございます。