十五日、拝殿で婚礼の最中に虹がかかったのに遭遇。

月次祭の十五日は、午後から前線の通過で、雷神が時折盛大にパーカッションを轟かせ、折畳傘では心許ない雨に濡れた。

朔に栗鼠に会った神社に行きたい気持ちが半分、雨に濡れるのが憂鬱なのが半分。閉門間際に辿り着きそうなのも、気持ちを挫けさせていた。

それでも、僅かだが確実に「おいで…」と呼ばれている気がして、何度も引返しそうになる誘惑を蹴りとばした。

雨でコートの裾や袖をかなり濡らして、やっと辿り着く。

拝殿前に立つと、婚礼の挙式の最中だった。普段遭遇するより格段に参列者が多く、盛大な式のようだった。

あぁ、確か参拝した時に婚礼に遭遇するのは、縁起がいいと…

閉門には少し間があったが、賽銭箱の前は外して、祈念は大きく脇に寄った。

そこからは、挙式の様子は見えないが、祈念を終える頃に巫女の舞が重なり、美しい神鈴の音に陶酔した。軽く眩暈さえした。

この神社で婚礼に遭遇することは幾度となくあったが、これ程美しい音(ね)は未だかつて聴いたことがなかった。

その後で、多分盃を交わしているのだろうか、平調の音取りが緩やかに響く。もちろんライブ演奏だ。これも未だ聴いたことがなかったような、桁違いに重厚ながら美しい音だった。

瑞穂の国には、湿気が相応しい音を醸し出すのだろうか?などと頭を過る。

僭越ながらも、お二人の倖わいと、お二人の間のお子さんが健やかに、そしてたくさんの人たちを幸せに導ける素晴らしい人に成長されるようにと祈念。

お子さんの後半の願いは、勝手に口をついて出てきた。不思議な感覚だった。

式は続いていたが、何かに呼ばれるように、神門の脇を出ると…虹がかかっていた。

今回も、神門両脇のうちそちら側から出ないとみえなかった筈の虹だった。神門内からは、高さ的に見えない。

ゆっくり薄くなっていく虹に、不思議な色を見つけた。紫になる部分が藤色だった。奥の白い雲のせいなのか、だが、はっきり藤色に見えている。

その時、唇が勝手に小さく呟いていた。

あぁ、龍神さんが空からこの婚礼に参列してくれているのか…素晴らしい…いや、凄いことだ…と。

呼ばれるように、来て良かった。不思議を味わえて、静かな喜びを味わえた。

朔日、神社で栗鼠に会った…(続き)

時々小鳥の囀りが流れるなかで、暫くベンチでうとうとした。

横になっているわけではないのだが、ごく薄いフワフワの真綿(絹)をうっすら羽織っているような、無上の心地良さだった。思わず、ここもパワースポットか?と呟いてしまう。

ふっと吾に返る。ご婦人が小腹を満たした菓子袋を、パリパリと小さく畳んでベンチを後にするところだった。また静けさが戻ると、微かにシャッター音が聴こえてきたので、辺りを見回す。

栗鼠が餌を放り込んでいる洞の方を振り向くと、チビ栗鼠たちが走り廻っていた。

何人かが遠巻きに、色々な方向から取り巻いていた。ある人はずっとチャンスを窺い、ある人はすぐにいい案配に撮れたか、数回シャッターをきって立ち去った。

栗鼠は多分、いったん地面に埋めた餌を回収して、小腹を満たしたり洞に運んでいるはずだ。

荷物をまとめて、足音を忍ばせて、スポットを降りてそぉっと近づいてみる。撮影したい人たちがいる以上は、栗鼠を驚かせてはいけないし、実はこうして近づくと先方も警戒心を解くことが多い。

走り廻っている栗鼠を、優しい気持ちで眺めては、一歩近づくのを繰り返す。

案の定、元気のいいチビがツイと立ち上がって此方を向いた。白い腹の部分がまるでエプロンのようだ、といつも思う。

タタタっと走ってきて立ち上がり、え?何か貰えるの?と見つめてくる。ここで何か差し出せば、受け取ってくれるが、野生の栗鼠に食べさせていいものは、持ち合わせていない。そもそも人間が食べるものを軽率に与えるのは、殺人ならぬ殺栗鼠行為と言える。

それでも、というのなら、殻付の胡桃やドングリならば、その可愛い手に渡してやるのも許されるか…

餌はないの?なぁんだ…んじゃ、ちょっと失礼します~と、脇をすり抜け(呆れる程の至近距離)、スポットに登って行って、ご婦人方の座っていたベンチの辺りを、軽く掘り返しては何か口に放り込んでいる。

また静かに近づいて、姿勢を低くすると先方も走り寄ってきた。決して身体に触れてこないと解っているのか、先方から指先に触れてきそうな距離で、此方を見上げている。

地面に墜ちている紅いコリンゴを指差しても、見向きもしない。酸味の強いものは、嫌いらしかった。一頻りベンチの界隈をチェックすると、洞の方に駈け降りる。

帰り際に、辛抱づよく撮影していた男性が声をかけてきた。

ずいぶん栗鼠に近づけてましたね‼と。黙って微笑といっしょに頷いた。案外、栗鼠はあのシャッター音が嫌いなのかも知れない…

朔日、神社で栗鼠に会った…

今月の朔、先月不思議なハロを見た神社へ参拝…

此方では11月は天候的に厳しくなるので、今月中に七五三を済ませることが多い。

今年は土曜と朔日が重なって、子供の声がかなり賑やかだった。

七五三でなくても、朔は拝殿前は混雑するので、賽銭と拝礼だけ済ませて、賽銭箱の左手脇まで移動してゆっくり祈る。

今回は七五三もあり、人波が途切れることは全くなかったが、時々幕が風を孕んで左に大きく膨らむ。心地よい風をいただいた。

今回も、梅園奥のスポットを訪ねた。気持ちのよい気温だったので、瞑想とはゆかなくても、一寸ベンチでうとうとしたかった。

マイクロスリープに良さそうな25分ほどをセットし、荷物は肩紐を身体に絡めて目を閉じる。

途端にスッと、聴覚が鋭敏になる。少し離れたベンチの若くはないご婦人方の声が、流れ込んできた。別に聴きたくはないのだが、やはり女性の声は静かに喋っても、格段によくとおる。誰々さんがどうしたとか、近況報告のようだった。

ただ、悪口の類いでは全くなく、その声が鳥の囀りのように聴こえるのが、有り難かった。

たまに粗い波動の声で、悪口を垂れ流しにしている輩に遭遇すると、逃げ出すしかできない。

小鳥たちの声と、女性たちの声が時々絡み合って、ふっと意識が霞んできた時、微かにガサガサと小鳥ではない重量級な音がした。

はっとして、目を閉じたまま耳で情報を追う。

実際、目で緑深い木々の枝を探すより、上下左右、遠近がありありとわかる。

ガサガサ、シャラシャラ…高い枝から葉音(?)が此方に近付いてきて、低い場所(地面)へと移動するようだった。

あぁ、針葉樹の枝からたった今、向かいのサクラの枝に移ったようだ…そこで目を開く。

小柄な、黒の色みが強い栗鼠だった。続いて似た毛色のもう一匹。

多分、今年生まれのニューフェイスの兄弟のようだった。恋の季節には、まだ早そうだ。

一応少し立ち止まって、此方を眺めてから何も手を出して来ないのを確認し、このスポットから駈け降りていく。

もう一匹はいったん針葉樹に駈け上がって戻ってから、間をおいて先程の一匹とよく似たアクションをして、後を追う。何か忘れ物でもしたのか?と少し笑ってしまう。

駈けていった辺りには、餌をストックする小さな洞のある樹があったはずだ。

神社でジモティなキツネに遭遇

先日の夕方(陽はかなり傾いていた)、夏のクラシックフェスの会場のホールがある公園の南端にある神社に、何やら呼ばれるように足が向いた。

幹線道路に面した、安芸の宮島の鳥居に似ている赤い鳥居を潜るのだが、公園の中を通っていくと、神様が鎮まって居られる一番奥の高い建物の裏手にいける。

少し離れた場所になるが、調度真裏にあたる位置にベンチが配置された丸いスペースがある。

樹木で幾重にか覆われていて柵も廻らされて、直接見えてはいない。神様に近い場所だとは、ほとんどの人は感じていないようだ。

そのベンチで少し休んで、さて鳥居に向かおうとしたが、何やら神様の近くに行きたい気持ちになった。

いつもなら、公園の歩道に戻っているのを、何故かそのまま神社の裏手の柵に近寄った。と、一番高い建物を支えている北の柱の処に…ジモティなキツネがあの長い尻尾を伸ばして、静静と歩いている。

お互い目が合って、え?…となる。柵があるので、先方は焦りはしないが、何やら興味津々の眼差しで此方を眺めながら、南の柱まで歩いて一旦拝殿方向に行った。

が、またひょいと振り向いて戻ってきて、まじまじと此方を眺める。どちらが見物しているのかわからないなぁ、と吹き出す。

住まいは神社で、狩場(食料調達)は緑豊かな夜の公園か。なかなか快適かもしれないなぁ、と感心した。

表の鳥居を潜ってご挨拶を済ませ、ふともう一度ぐるりとまわって裏手に行ってみる。

拝殿の石組を降りて、普通の犬のように丸まって砂利の上に踞って、また来たの?と此方を眺めてくる。

此方も、あぁまだいてくれたんだね?と手を振ってしまった。まぁね、と大きな欠伸をしてから、前肢の上に顎をのせる。

また来るね!とバイバイ…

15日も、不思議で素晴らし…かったかもしれない(その4)

鳥居まで戻って、神門に向かう。参道は左右とも高い樹が立ち並び、あのまま直進していたらあの方向の空は、全く見えない。

手水舎の辺りからも、階段を上がって神門の位置からも、御垣内からも、拝殿前の階段を上がっても、樹の高さのほうが勝っていて、あの方向のあの高さの空は隠されていた。

見せてあげたいものがあるからね!ほら、先にこっちに来てね!と呼ばれたのだろう。

神様がたも、あぁ楽しんでおいで…ちょうどこのタイミングで、此処に来られたのだから…そう笑顔で許して下さったか。

それとも…或は仕組まれたのかもしれなかった。正面の鳥居にたどり着くまでに、まるであのタイミングにあのスポットに座れるようにと、調整を積み重ねたようなちょっとしたタイムロスが複数あった。

別の小路を辿ってスポットに戻ってみたが、やはり梅園の限られた位置からしか、あの部分の空は見えないことに、むしろ驚かされた。

太陽は、高さも位置も少し移動してしまっていた。相変わらずラジオが鳴っていて、スポットでは、もう一度喉を潤しただけで立ち上がる。

梅園を通り抜けた辺りで、あぁ、と気がついた。あれはきっと外接ハロの長い径の先端だったのだろう。

ハロは円のものと、円と同じ径を短径にもつ楕円の2つがある。

太陽の位置と径から予測した円弧のカーブが合わなかったのは、楕円の外接ハロだったからだ。

ハロの縦方向に長径があり、昼時で天頂から下がった位置の太陽が、自分の後頭部方向にある。

ちょうど、ハロが頭上をオーバーハングしたために、凹の白い円弧が見えた訳だ。

珍しいものを、神社で見せて頂けたということになる。これも賜り物かもしれなかった。

15日も、不思議で素晴らし…かったかもしれない(その3)

奥のベンチで寛いでいた女性が立ち上がって、スポットから離れようてしていた。

その時初めて、彼女の座った位置からはあの円弧が、角度からして見えていないと気付いた。このスポットの雰囲気を楽しんでいた彼女には、是非見ていって欲しいと、失礼を承知で声をかけた。

此方が恐縮しそうな位に驚き、喜んでくれ、薄く掻き消ようとするまでそれを楽しんでくれた。

教えていただいて、有難うございました!と明るい声を残して去っていった。

或は彼女の清々しいオーラが、上空のショーを引き寄せたのかもしれない…そう思えるほどだった。

小腹を満たして、暫く休み立ち上がる。

今度は高齢の男性が現れて、ベンチで軽い食事をとり始めたのだが、トランジスタラジオをスピーカーで聞き始め、何やら清々しかった気配が急速に歪んでしまった。