セクハラ罪という罪はない、当にモラル崩壊の政府、恥を知らぬ人々による閣議決定ですな…あぁ恥ずかしい!

 
そういう罪名が存在しないから、司法で裁くに値しない、と?
いちいち、あげつらう必要などない、と?

そして、蜥蜴の尻尾きりをして、己の立場の保身に走り、
これだけ国民に愛想をつかされても、なお強引に数に任せた採決に持っていこう、と?


セクハラは、ほぼ99% それを行った人間の立場に基づくパワハラを土台にしている。

この世に、そんな人間が決して少なからずいるのだから、
ここでそんな些細なこと(=パワハラを土台としたセクハラ)は問題になんかならない、と。
ま、そういう、大変に破廉恥な閣議決定ですな。
(ははは、破廉恥なんて通じないか、今どきは…)


与党を組んでる政党は、
ここまで司法に裁く罪ではなく、
もっと根本の人間としての罪を平然と妥当化する閣僚たちを、
果たして赦してよいものだろうか?


特に、清浄な白い蓮華を胸の中に抱いている(はず)の人々よ、
これを方便と称して、うやむやにしておくことは、
開祖にたいして、政治家という天職を許されたのに、大変恥ずかしいことをしてはいないのか。
文字通り、白蓮華を抱く胸に手を置いて、自らに問い直して頂きたいものだが…

いや、自分たちの政党の保身が大切ならば、致し方ないか。
目先の問題として、そういうレベルでしか、考えられないのか…


三途の川を渡る時は、誰もが白い帷子に着替えさせられる。
川の水に感応して、渡りきって閻魔大王の前に進むとき、
帷子の色が白いままならば、正しい道を歩んで来たことになる。

例え、殺人を犯さなくとも、今回のようなことに手を染めれば、
セクハラを行った当事者は勿論、小理屈を捏ねてあたかも罪ではないと言い放った者も、
それに同調し容認した者も同罪で、ヘドロに浸した穢い色になる。
高潔な、墨色の黒ではない。

信じたくないなら、信じなくともよい。
本当に自分を正しく裁くのは、難しい。
だから、最後に裁く時の鏡として、閻魔大王の姿を誰もが借りるだけだ。

本当の罪状は、本人が知っている。
最後に自らを裁くとき、言い訳、言い逃れが通用する余地は、髪を挟むほどもない、ということだ。