昔々も、現在も…の勘違い発言。

 
昔々、風見鶏と評されたお方が居ったげな…

こともあろうに、この大和の国を、メリケンの不沈空母と発言して、
大顰蹙をかったそうな。

そりゃ、そうじゃ。
其奴がどう思おうと、それは其奴の勝手(自由)じゃが、
その時の自分の立場を、わきまえておらんかったのう。

果たして、大和の民たちの一体どれほどが、そげな言い様に頷くと考えてとったものか…

メリケンの偉いさんといくら懇意であっても、それは個人同士のことじゃろうが。
大和の国は、大和の民のものじゃ。
忘れまいぞ。のう。



そして、歴史は繰り返す、とはよういったものじゃ。

また、メリケンの偉いさんと懇意になれたと思い込んでおる、お方がおってなあ。

その先は、知ってのとおりじゃ。

そうそう、世界競技会への策を最近たてなおしてなあ、
まあ、同じ日ではなかったが、まるで朝令暮改(でよかったかのう)の変わり身に、
我々、大和の民は呆れかえってしまったわい。

それも、大和の民を呆れ返らせることを、ほんの数日前にもやりおって、
まあ、「民意をやわらげる」のが見え見えだったのでなあ。
失笑をかうとは、このことじゃのう。


「わが軍」などと口を滑らせて、大将気取りでおったが、
はて、正成公や幸村公のように損得ぬきで命をかけてくれる者が、果たしておるかどうか。


そうじゃ、そうじゃ。
今日も、耳障りな言の葉をきかされてしもうたわい。
「人々に感動をあたえる」などと口走っておったが、
「感動していただける」くらいいえぬものかのう。

もちろん、儂は最近の「~させていただく」の氾濫は苦々しく思っておる。
「~いたします」で十分じゃ。

しかしのう、「大将」。
あんたがこの競技会を、ひらくわけではあるまい。
まあ、混乱状態で仕方ないかもしれんが、
「みのるほど、こうべをたれる、いなほかな」
を心の片隅にでも、掲げておいてもらいたいものじゃのう。

いやいや、年寄りのたわごとじゃ。
つきあわせてすまぬことをしたのう。


このへんで、しまいにしておくか。