救命行動への感謝状を、看護師さんは固辞した

 
看護師さんの、プロとしてのプライドではないか。

勿論、目の前で人が倒れたら、人情としてなんとか助けたい。
(そういう想いも浮かばないのなら、既に論外である)

しかし、ほとんどの人はその技術を持たない。
その時、確かな技術と気概を持った女性は、
まるで条件反射のように、土俵に駈け上がった。

彼女の救命行動は誰にも指図されることのない、自らの使命感から…


土俵は神聖な場所だというが、それなら一体、
どちらの神さまが、穢したといって怒るというのか。

救命行動を誉めることさえ、出来ない神さまならば、
大変失礼だが、私の感覚から言ったら、信仰からは程遠いお方だ。


でも…と、ふと思った。
八百万の神さまのなかには、我々人間の中にもいるように、
女性恐怖症の神さまも、いらっしゃるかもしれない。

土俵には、女性はあがって欲しくないのは、
穢れなどではなく、女性恐怖症なのではないか…
それならば、仕方ないかもしれない。

それでも、救命行動のために無我夢中の看護師さんに、
神さまはそっと、行司の後ろに隠れたのか…



スサノオの命は人生前半、結構情けない行動をとっていた。
けれど、やがて大活躍の後に熊野の神さまに。
熊野の神さまは、遥か昔から女性の参拝を拒まなかった。
これは、稀有なことだ。

本当に強い神さまは、弱者にこそ優しかった。
勿論、あの険しい地に参拝するのは、
女性や、癘に侵された身体では大変なことではあった。


やがて、熊野の神さまは、全国(特にまだ開拓状態だった東海以東)に、
民たちに乞われれば、神主に背負われていった。

たくさんの地域に熊野神社
強くて本当に優しい、熊野の神さま。民たちが頼りたくなるのも、無理はない。


熊野の神さまだったら、看護師さんにどんなご褒美を下さっただろう。
いやいや、いのいちばんに…
顔をほころばせ、強く頷きながら、

ご苦労だった。
一つの大切な命を救うために、酷いいわれようにも耐えてくれた。
本当にありがとう。ありがとうなぁ!

そう労って下さるだろう。

神さまだからこそ本当は、ありがとうと、感謝の言葉を下さる。
畏れおおい、と反論する輩も多いか。

だが、考えてみて欲しい。
ただ崇め奉られる事と、
神仏が手を差し伸べたい時に、成り代わってサッと行動する事と、
神さまが心底嬉しく思われるのは…?