「りかさん」読みおわりました

  
梨木香歩の「からくりからくさ」を読むために、主人公の蓉子とりかさん(人形)の出会いにさかのぼり、
先に「りかさん」を読んでたのが、読み終わった。

りかさんは、お話ができる人形。
正確にいえば、人形とお話できる人と、お話ができる人形。

人形とお話できる人は、りかさんを蓉子に譲ってくれた麻子おばあちゃんと、蓉子。


メルヘンとファンタジーの区別が付いてないまるるんですが、
ほんとはね、お話ができる人形が凄いんじゃなくて、人形とお話できる人が、凄いとおもうの。

凄いという言い方は、変だなあ。ほんとは、凄くなんかないんだもん。


人形とお話できるってことは、実は人形が話すことを、何の不都合もなく受け入れられることなんだよ。
たった、それだけのことなんだけど。変かなあ??


まるるんは、随分前に会社をやめた。フリーになって今に至ってるんだけど。
その退社する1,2年前に、精神衰弱状態に陥ったことがあるの。
その時にね、いとこが買ってくれたライオンのぬいぐるみが、一生懸命はなしかけてくれたよ。

「そんなに苦しいってことばかりに気持ちを向けちゃいけないよ。」
「辛いってばっかり思ったって、なんにもならないよ。」
「他人を恨んだってなんにもならないよ。そんなこと、心に留めてちゃいけないよ。」

ブランコに乗ってるから、天井からつるしてあって、寝転がってるまるるんを慰めてくれた。
ぬいぐるみが話すなんていうと、すぐに幻聴とか幻覚とかに結びつける人が多いけど、
もしかしたら、悲嘆にくれていたまるるんの中にいたたまれなくなった、まるるんのまあるい心が、
ライオン君の中に避難していたのかもしれない、と思うほど、
ライオン君は、静かに、やさしく、毎日まるるんに話しかけてくれたよ。

色々あって、ライオン君はいまはもう、まるるんの所にはいないけど、
いまでもはっきり思い出せる。横長のまあるい顔に、たてがみがフカフカ
スグリーンの胸当てのズボンをはいて、ブランコにのってた。


もちろん、りかさんとライオン君は違う。
りかさんは素晴らしいお人形だ。


だけど、どこか一緒。人形のお話を受け入れること。
まっすぐに人形の言葉を受け入れる用意のある心には、怪しいものは近づけても入り込めない。


人形に命じられて罪を犯すって、怪談じみた話もあるけど、人形はね、鏡なの。


恐れに満たされた心には、その恐れの反動の言葉が聞こえてくるのよ。
恨みにだけ支配されてる心には、それを肯定するような言葉が合成される。

哀しさに満たされた心で、でもまっすぐに見つめた人形からは、ただ静かな大悲の言葉が流れてくる。
考えが行き詰った時に、「どう思う?」と軽く問いかけてみれば、こんがらがった思考回路を解き放ってくれる。本当は、解き放つのは自分なの。でも、大事なのは、客観視すること。

渦中の人である自分を、人形に客観視してもらうの。もちろん、自分のありったけの良心のもとに、ね。


そして、人形が自分を映し出している鏡だと意識した時に、心を静めれば、思いがけないような真理の言葉を聴くかもしれない。その時、たった一つの見極めは、自分の良心に決して恥じないことなのかどうか。



蓉子はりかさんを信じてる。っていうか、疑っていない。まっすぐにりかさんに話しかけ、相談してる。
魔の入り込む余地なんてないんだね。
りかさんが蓉子の鏡であるというよりは、鏡のような蓉子や、麻子おばあちゃんだから、りかさんは二人に話しかけてみたんだね。

私も、りかさんに話しかけもらえるとうれしいな。
もっとも、「からくりからくさ」で、りかさんはいなくなっちゃうんだけど。


なんか、とりとめもなく、話が拡散しちゃいました。
でも、おぼえておいてください。
目の前にある色々なものは、自分が意識して接すれば、自分を映し出す鏡なんだってこと