きょうは、甘露が降るはずなのに…

 
きょうは、はなまつり。
おしゃかさまが生まれた時、甘露が降り注いだという故事にならって、
こどものおしゃかさまの像に、甘茶を注ぎます。


それなのに、関西から甲信越、関東とものすごい雨に見舞われてしまいました。
羽田空港は、滑走路が冠水してしまったって… 
とんでもない、連続のスコールって感じですね。
あー、羽田に飛ぶ予定にならなくて、よかったあ。


せっかくのお誕生日ですが、お釈迦様が涅槃の時に弟子達に残した言葉について、
きょうは書いてみたいとおもいます。
涅槃図には、弟子達やら、ありとあらゆる生き物達が悲しみにくれています。
「私たちを置いて、いってしまわないで!」と悲しんでいます。
お釈迦様がなくなったら、天地が真っ暗になったも同然、何を寄る辺にいくのですか、と。

「自灯明、法灯明」 でも、お釈迦様はこういうんですね。

自ら照らしていきなさい、それでもわからなかったら、
私が教えた(佛)法に拠っていきなさい、と。
お釈迦様も、内心ヤレヤレ…とため息をついたかもしれないですね。
自分は一所懸命に導いたつもりだったけど、
あらあら、この期に及んでもまだ自立しきってくれてないなんて。

慕ってくれるのは嬉しいけど、弟子達よ、もっとしっかりしてくれい!
お釈迦様の残した微笑は、案外、苦笑いだったかも… などと不謹慎にも思ってしまいます。

「自灯明、法灯明」
自らの道を照らしていける人は、そして、他の人の足元を照らしてあげることができるんですね。
凄くかっこいいです。そうおもいませんか? 憧れちゃいます。


インドの輪廻転生は、厳しい身分制度に縛られていました。
だから、お釈迦様は、そこから抜け出す方法として、仏法を説かれます。
でも、それも方便だなあ、とまるるんは思います。

どんな辛いことがあっても、一条の悦びを見出せる人は、転生をいとうはずはないのです。
何の苦しみもないという涅槃の世界にいるよりも、
苦しみもあるけど、躍り上がるような悦びを見いだすことのできるこの世こそ、
そして、理想に少しずつでも進んでいけるこの世こそ、魂が生きていける場所なのです。



なあんて、アンラッキー続きのまるるんの負け惜しみに聞こえるかなあ。
でも、転生を重ねていつか、闇を照らすことのできる人になりたいです。

あれえ? さくらさーん。これって妖怪ですかね?