昨日の御神籤(続き)

 
ふと、思い出した。

この神社には、神話に語られる神さま方と、
この地区で土地を切り拓いて、今の町の礎を形成した人たちが、
それぞれの先祖から、ずっと慕って止まない藩祖をも祀っている。


そして、最初は祟りを鎮めるために祀られたとされているが、
類い稀な智力を持つ一方、謀にその智力を用いず、却って謀られてしまった、道真公。

祀られている道真公は、私たちを恐い顔で睨み付けている。
あれは祟り神だからだと、さも知ったように解説してるおじさんがいて、
私は思わず、おじさんを睨み付けた。


馬鹿なことを言うな!怨みから睨み付けてるだと?
違う、愚かにもただ智力を授かりたいと願う私たちを、諫めるためだ。


智力は授かり物ではない。
授かるのは、自分の智力を発揮する、エンジンの馬力を引き上げるきっかけだ。

学ばねば、宝の持ち腐れ。
学び蓄えた智力を、自分や周囲だけでなく、
全てのものに別け隔てなく、使っていく覚悟はあるか?

お前の学びを支える全てに、感謝できているか?
その恩に報いるべく、お前の智力をお前以外の全てにも、
広く惜し気もなく使っていくと約束できるかっ!、と。