大雨は、サッサと通り抜けていってくれた。

 
今朝は晴れていたけれど、昼前からかなり悲惨な警報がでた。
でも夕方には警報も全部解除されて、すっかり晴れ、水溜まり以外は路面も乾いてた。


そう言えば、昨日は龍さんの雲を神社の近くで何回も見た。

いつもと寸分違わずだけど、この街を護り、気象を調えるために毎日休むことなく、
この街の龍王龍神、龍さんたちに頑張って頂けてることに感謝して、
彌栄も奉唱したよ。


だけど今は、どうか降りすぎて困ってる地域の雨雲を、
渇水で困ってる地域に融通してあげて下さい。

雨一粒たりとも、疎まれることなく、
ありとあらゆる命を育むという、素晴らしい水の使命を全うさせてあげて下さい。

雨粒一つ一つが、使命を果たして、自ら嬉しく、誇らしく、幸せになりますように、と。


被災された方たちには、なんて甘っちょろい祈願だと思われても仕方ない。

だけど、警報にドキドキしながらも、警報解除に安堵の息をつくことができた私には、
できることといったら、そう祈願することしかない。


私たちは、水の恩恵をしばしば忘れている。
天地の間を、ものすごいエネルギーで循環している水の存在を、当たり前のこととしか考えていない。

その一方で、降りすぎても降らなすぎても、不平を言ってる。
何で自分たちに都合のいいように、降らないんだと。

その傲慢さが、度を過ぎた不均衡な降りかたを呼び込んではいないだろうか。

別に雨雲のせいじゃない、龍さんたちが懲らしめてやろうとやってる訳じゃない。


龍さんたちは、いつだって、雨雲をどうやって融通したらいいか、
雨雲が集中したときに、被害を最小に済ますにはどう分散させるのか、
出来る限りの知恵と労力を振り絞ってる。

一大事の時は、自衛隊とおんなじで、遠くから遥々応援に派遣される龍さんだっているんだよ。

だけど、龍さんたちでさえ力及ばぬ事態が、地球規模で起きてる。
過重の働きで文字通り過労で動けなくなっちゃう、そんな龍さんがいたって当然だよね?
地球規模の異常を呼び込んでしまったのは、私たち人間だよね?


私たちが願わなくたって、龍さんたちはいつだって頑張ってくれてる。
だったら願うだけ無駄?願ったって、災害や渇水はおこる?

違うよね。私たちが純粋に祈願した分は、龍さんたちのエネルギー元になるんだよ。

今日も、へとへとになるまで頑張ってくれてる龍さんたちに、エネルギーをチャージする方法なんだよ。


そして、現地に駆けつけて頑張って下さってる、ボランティアや自衛隊員の方たち、警察官や消防団の方たちを護る、
(龍さんたちは、頑張ってる人を応援するのが大好き!)
そのエネルギーに転化されもする。


わたし一人の祈願は、些細なエネルギーしか発信できないけど、
大丈夫、それを元に大きく増幅して貰えるから。


何を信仰するかで、争ってる暇があるなら、
降った雨自身が、一番幸せになれる場所に降ることができるように願いましょうよ。

雨を降らせるときに活躍してくれる龍さんたちに、雨雲をそこに連れていってあげて下さいと願ったとき、
嫌だなんて言うのは、ニセ者です。

逆に、へとへとになっていても何とか応えてくれようとするのが龍さんなので、
私が祈願したこのエネルギーを最大限に使って下さい、と。
そして、龍さんいつもいつもありがとうございます、と。


ねえ、感謝しなくちゃいけないって言ってるんじゃない。
ただ、いつもいつも頑張って貰えるから、感謝しかでてこないんだよ。