恩のお仕着せの話を聞くのは、他人ごとでもイヤ!

 
わたし個人としては、「恩」という言葉を、使いたくないし、使われたくもない。


恩知らずと罵るのは自由だけど、少なくとも「恩をきせる」のは、
その施しを行った徳を、全く打ち消しかねないくらい、愚かな事だと思う。


亡くなった伯母が、母に向かって
「犬畜生にも劣る、恩知らず」と罵っていたことがある。

だけど、犬は恩なんて感じるだろうか。


親戚の家に、とっても仲良しになったワンコがいた。
そのコが辛い時に、ちょっと手を貸したら、とってもなついてくれた。
(従姉が冗談でヤキモチを焼くくらい…)

だけど、そこに「恩」なんてものはない。
そのコが、ただただわたしのことを「だぁいすき」なだけだ。

たぶん、わたしが困っていて、そのコが解決できることがあったら、
「だぁいすき」なわたしのために助けてくれたと思う。
そこに、駆け引きや貸し借りの感情などありはしないし、ましてや「恩」なんて道徳心もない。

「だぁいすき」な相手を助けられること、役に立てること、
喜ばせてあげられることが、至上の喜びでなくて、一体何だろう。



「~してやったのに!」なんて吐き捨てるのは、「報恩」を期待している。
その心根こそ、酷く賤しいと思わないのだろうか。
その事に気がつかないなんて、なんて愚かしいことだろう。


「恩を仇で返された」と愚痴るなんて、全く謂うだけ愚かだと思う。
報恩を期待しているあなたは、あなたが考えている「恩」とやらを施す相手を見る目がなかったに過ぎない。

わたしだったら、万が一にもそんな感情が掠めることがあっても、
そんなふうな思いが浮かぶこと自体が、自分自身で恥ずかしくて、
他人に話すなんて、あり得ない。


その憤りを、曾て聞かされたわたしこそ、いい面の皮…

施したといってはとくとくと語り、裏切られたといっては、罵りの言葉を吐き散らす。
はっきり言って、あなたのその根本的な愚かしさが、聞かされている間じゅう、非常に不愉快です。


どんな偉い方を「心の師」と仰いでいようが、
それであなたの価値が上がる訳じゃありません。

その時自分に、施すだけの力があってよかった、施すことが出来て嬉しかった、
それだけなんだ、とその口から聞かせてもらえる日が、
いつか来ることを、心底願っています。

速いとこ、自ら悟ってくださいますように。