博多駅前の陥没

 
以前にも同様の陥没があったということ。
今回も、十分な対策をとらなかった可能性があるとのこと。


熊本大地震の影響による、液状化を含む、地盤変化の可能性、
数年来の度重なる豪雨による、想定外の地下水脈の出現の可能性、
既に工事が進行中でも、都度全く考慮してこなかったのか。

前回の陥没と同じ轍を踏まない対策以上に、
今回は過去一年の自然環境に基づいた考慮が、必要なのではなかったのか。


周辺への被害もさることながら、
第一、作業に携わっている人たちに襲いかかる「危険」を、もっと真剣に考えて欲しい。

福島の原発事故の時も、そうだったけれど、
労災保険に加入しているから、どうなってもいいわけないだろう。



着手してしまったら、オン・スケジュールが鉄則なんだろうか。
強行突破させてしまえば、それで済ませようというのだろうか。


まるで、今の政府与党のすがたを投影しているようで、恐ろしい。



そして、万全の対策を怠ったために遣われることになった、多額の公共費である。

例えば、今回の埋め戻しのための費用から、インフラの復旧、そして損害賠償…


あの、国立競技場のデザイン、エンブレムに始まって、
豊洲市場など次々と思いあたる。

そうそう、マイナンバーに関わるトラブルだって、個人単位の損失は小さくても、
全国民で集計したら、手間の浪費(時間とお金=交通費&通信費)たるや、とんでもない額になる。

その公共費の財源は、結局は国民へのツケとしてまわってくる。

そして、被害者の損害賠償に応じれば、それも最終的には国民が負担する。


そう、対応当事者は国民が負担していると片鱗も考えていない。
栄誉や儲けを受けとることしか考えていない。
対策を予め立てたりするのは、全く無駄なこととしか、考えていない。

もちろん、個々人のレベルでは必ずしもそうではないはずなのに、
組織の下では、そうなってしまっている。



対策、特に回避対策は、それが発生しなかった時に、とてつもない無駄なことをした、と非難されがちだ。(実際、非難される)

保険だと割りきれば、安いものではないか。
起きてしまったら、その何倍では済まされない損失が待っている。
(軽くても数十倍、数百倍のレベル)

倹約する対象を間違ってるのが、大部分のケースだと見ている。