鬼平犯科帳の終了によせて…

 
中村吉右衛門鬼平犯科帳が終了する。
わたし自身は、テレビを視なくなってから久しいけれど。
(PCと携帯の画面を観るので手一杯…目を使うキャパシティを超える)

でも、最初に吉右衛門鬼平を演じると知った時、
先代の松本幸四郎(実父)の演じた鬼平を僅かに知っていた私は、
ふと、先代の面影を吉右衛門の中にみていた。

歳を重ねるごとに、面影は重なって、あぁ、まるで鬼平そのものになったなぁ、と。


鬼平は鬼の平蔵。
火付盗賊改の役職にある時の、江戸の街を荒らす奴等は決して許さんっ!という彼を、
犯罪者たちは、容赦ない鬼のように恐れた。

江戸庶民にとっては、本当に安心して頼れる、お役人の長谷川さまである。

あるいは、鬼平の鬼は、むしろ鬼神といった、
並外れたパワーを発揮してくれる者、という意味もあるかもしれない。


養子に出されてしまった実父ではあったけれど、
吉右衛門は、見事に血のつながった父の確立した、テレビという庶民むけの新しい舞台で、
その芸を無言のうちに継ぎ、更に大きく新しく育て上げてきた。
その意味でも、彼は鬼平役だけではなく、役者としてヒーローだ。


時代劇では、私達がいまでは触れることもないものや、所作が沢山ある。

吉右衛門の箸使いがとても端正だと、何かの雑誌で読んだ覚えがある。

無駄なく美しいその所作は、本来は一番自然に動作が流れる型になっているはずのものだ。

ぶきっちょ、かつ指のレイアウトや長さがいわゆる95%の範疇にないわたしには、所詮叶わないことだけれど、
可能な方達には、できたらその所作を画面から盗んで欲しいな、と。
(大丈夫、鬼平さんは許してくれます!)


歌舞伎役者は、お稽古以前に日常の所作も、例えば胡座が美しい。

もちろん、荒くれの酔っぱらいを演じる時や、どうにも疲れきっていれば、そうはしないだろうけど、
座る時にも立つ時にも、文字通り頭の上から糸で吊るしたごとく、
肩が水平のままでストンと座ることができる、
軽く膝や床に拳や指を置くことはあっても、スイと立ち上がることもできる。

菊五郎勘九郎の所作に、参りました…と脱帽の気分だった。

多分あの動作を支える筋肉は、体の内向きに鍛えられていく、(ムキムキとは正反対の…)
使わないときはきちんと弛緩して、必要なその時に活躍する筋肉なんだろうな…