アショカ王とスリランカ、一瞬でつながった…(その2)
一方、引用したかったお釈迦様の言葉は、
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。
怨みをすててこそ息む。
これは永遠の真理である。
と、「愛」は出てこない。
「怨みを捨てる」といった発想は、キリスト教では受け入れ難いのか。
強いて言えば、「愛」は外から与えるもので、与える側に優越感があるかもしれない。
でも「怨みを捨てる」のは、内省的で、深い思慮なしには到達できない。
どちらにしても、このスピーチのおかげで、日本全体の分割統治は免れた。
ただ、沖縄だけがその苦しみを、何も知らぬ間に引き受けさせられて現在に至っている。
ジャヤワルデネさんは、この会議の前に来日している。
そして、日本でなお仏教が信仰されていることを、強く印象に持った。
それが、京都や奈良の大伽藍だったのか、
あるいは、辻に立つお地蔵さんだったか、
家々の仏壇だったのかはわからない。
ただただ、仏教が生活のなかに息づいている「同胞」として、
心底、この国の力になりたいと決心したのではないか。
スリランカは、お釈迦様のころの色濃い上座仏教の国ではあるけれど、
ヒンドゥー教を信仰する人口が一番多いのかもしれない。
或いは、主要産業の紅茶に関わる人々の多くは、イスラム教を信仰しているかもしれない。
他にも、スリランカ本来の古くからある信仰のひとも、
イギリス統治時代に入ってきた、キリスト教を信仰するひとたちもいる。
必ずしも、仏教の国とはひとくくりには言えない。
それでも、やはりそのそれぞれの信仰のコアは、
美しく、揺るぎなく、平等で差異のないものであると、
わたしは信じている。
などという想いにひたっていたら、あら、閉館時間で退出することに…(;´д`)
でも、よかった…
ありがとうございました。