善知識、善知識魔のこと(その2)

 
さて、善知識魔の「魔」とは?

もちろん、かつての某教団の教祖みたいに、殺人をポアと称して正当化してるような輩は、
善知識では決してない。
単なる悪魔に魂を明け渡してしまった、悪知識(?)とでも言うべきだ。


善知識魔とは、善知識の側ではなく、
善知識に師事(という言い方も微妙だけど…)している、
修行者の側の「魔」…


悟りに向かう修行を妨げる「魔」を挙げたものがあって、
その一項目として、善知識魔があります。

なんだけど、ごめんなさい、
これをどこで(=なんという本で)知ったのかを、思い出せない。
鎌田さんの本だったように思うけど、そうじゃないかも。

ただまるではかったようなタイミングで、その本を読みながら
「あぁ、あれって善知識魔なんだね…」と即刻に納得した次第。
(そもそも、そんなタイムリーにその本に出会うこと自体、不思議な巡り合わせだね…)


誤解を恐れず大雑把にいうと、
ある1人の善知識への修行者の傾倒(=執着)が、
熱烈をさらに通り越して、既に尋常でないということ。

自分が師事している善知識を、この世の唯一無二の人物とし、
その善知識を批判でもされようものなら、錫伏してやると息巻き、
刃傷沙汰までまきおこす。

そんなことをして、尊敬し心酔さえしている善知識が歓ぶのだろうか。
でかした、よくやったと褒めるだろうか。


本物の善知識なら、諌めるのではないだろうか。
飛び出して行こうとする修行者に、きっぱりと言うだろう。

「そんな者にかかわる必要はない。放っておけばよい。
どんなに挑発されても、無視することだ。」
「真実を知らず、自分たちだけが選ばれた者なのだと思い込んでいる。
思い上がって、聞く耳も持てない輩だ。
愚かな、憐れなものたちだと知りなさい。」
聞く耳を持たない輩の言うことに、お前が耳を傾ける必要がどこにある。
腹がたつこともあるだろうが、お前がそのいでたちでかかわることは、
即ちその者たちと、同じ次元に堕ちていると言うことだ。
それがわからんか?」