怨みをもって怨みに報いることはしない…ということ

 
ひとつ前の記事に書いた、スリランカの代表の方が引用したこと。

わたしは、仏教系の幼稚園に行って(これ以外は、全部公立の学校)、
卒園のときに「おしゃかさま」の本を記念品(?)としてもらって、
これを読んでるので、そのシーンが古い記憶として残ってる。

なので、サブジェクトの言葉がスッと胸に入ってくるのだけれど、
もしかして、ご存知ない(機会がなければ、当然です)方もいらっしゃるかもしれない、
浅はかにも、さっき思い出して、自分のあたまをゴチン。


もし、よろしかったら、読んでくださいね。


おしゃかさまの弟子が、ひとりで出かけていたとき、
(或いは布教をしていたかもしれません)
他の教えを信奉している人たちに取り囲まれ、袋だたきにされてしまうのです。

血だらけになって教団に戻った彼の姿に、
仲間の弟子たちは、報復にと飛び出していこうとします。


それを彼は、押し留めます。
報復をしていたら、いつになっても争うばかりだ、
わたしひとりが我慢すればいいことだ、
お願いだから、仕返しはやめてくれ、
そう言って、彼は息を引き取るのです。



わたしは、目を丸くしてこの部分を(低学年むけの本でしたが)読んでいました。
(卒園のとき、ひらがなは読めたので)

ともすれば、言葉の順番から「自分が我慢する」に目がいくし、
原典も、この子供むけの本の作者も、自己犠牲も意図しているかとも思います。


でも、仕返ししてたら、いつになってもおさまらないんですよね。

彼は仲間に、そんな下らないことに、大切なエネルギーを使ってくれるな、と言っているんですよね。
そのためだったら、自分はもう構わないんだよ、いいんだよ、と。
わたしには、そんな気がしたのです。

そんな争いは、エネルギー(という言葉は知らなかったけど)の愚かな無駄遣いなんだと。



記憶では、このシーンにおしゃかさまは登場しません。
何か教えをたれる、ということもなかったです。

息を引き取る前の彼の言葉こそ、おしゃかさまの教えを、寸分の狂いもなく示しています。
教えというのも違う、「真理」と言うのが正しいでしょう。


遠い昔のことなので、記憶違いもあるかもしれません。

だけど、スリランカの代表の方が、きっぱりと言い切った言葉を知ったとき、
そこにある気高さに、雷にうたれたように反応したのは、
わたしにそんな背景があるからなんです。