つかまえる、んじゃなくて、だきとめる…

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百日紅も、風のなか。


コウノトリ」のドッキング成功、
たくさんの人の期待に、大変だっただろうな。

NEWSの見出しにロボットアームで「つかみとる」だか「つかまえる」と、
捕獲をイメージするように出てたのがあったけど、
わたしは「だきとめる」ってイメージだった。

進行方向に横からがつかまえるで、正面がだきとめるだと言われそうだけど、
ここは意識のことをいってるつもりでいる。


もしかしたら、油井さんは本当に「だきとめ」てくれたのかもしれない。

エンジニアとして、細心の注意をはらい、神経を研ぎ澄ましつつ、
もう一方で、その優雅な美しい鳥の名を持つ船を、
貴婦人のようにエスコートする騎士に思えた。

あぁ、ようこそいらっしゃいました。
どうぞこちらへ…、と。

ロボットアームは、一種の尊敬さえ込めて、騎士が優しく差し出す手だ。
余分に握りしめることもなく、ただ移動しやすいようにガイドする。


もっとフランクに、
おぉ、よしよし、よく来てくれたなぁ、偉いぞ。
ほら、こっちだよ、おいで!ここだよ!
だったかもしれない。

なんか、ずっと前のハチ公の映画で、
ハチ公が薄れていく意識のなかで、
仲代さん扮する先生の胸に飛び込んでいく、
そのシーンを今思いだしちゃった。

ロボットアームは、飛び込んでくる船を力強く受け止める腕だ。


どっちにしてもその時は、ロボットアームは単なる精巧な機械じゃない。

人間が操作し、その意思や感情までも投影している、操縦者の確かな分身だ。

つかまえようとする意識があれば、それは逃げようとする。
だけど、だきとめようとする意識があれば、それは自ら飛び込んでくるのかもしれない。

あれ?これも引き寄せの一種?
ってことは、油井さんはあの船を引き寄せたんだね!

今、学んでしまいました…呆然…