ありのままに、見る・・・
衆生の心清浄なるときは、すなわち仏を見、
もし心不浄なるときは、すなわち仏を見ず。
これは、弘法大師空海の「弁顕密二教論」という著作に書かれています。
そのままに意味をさぐれば、
すがすがしく澄んだ心でいるときには、仏さまに会えますが、
煤けて濁った心でいるときには、仏さまにはあえませんよ。
といった、ニュアンスでしょうか。
で、これを考えながら、だんだん丸くなってきたお月さんに、照らされながら歩いてました。
でも、仏さまは、自分のなかにいるんだよな~?
お月さんの近くで、木星が「うん、うん、そうだよ~」と輝いて、うなづきかえしてくれます。
夕べの雨で湿った落ち葉が、甘い匂いをたてて、闇に沈んでいます。くんくんくん・・・
水筒代わりのペットボトルに、残った分が歩くのと一緒に、リズムをとります。ちゃぽちゃぽちゃぽ・・・
う~ん、心が澄んでいれば、会えるってことはさ~~~。とことことこ・・・
濁ってると、会えないんだってことはさ~~~。てこてこてこ・・・
あ~~! そうか、心の中に仏さまが見えるには、自分の心が澄んでなかったら、見えないよね~。
煤けちゃったら、自分で自分の心の中が見えないよね~~。仏さまも見えないよね~。
そうか、見えるか見えないかは、自分の力量じゃないんだね。
だったら、他の人から私の中の仏さまも、見えるのかもしれないね。
私の心が澄んでいたら、会えるのかもしれないね。
じゃあ、私が他の人の中の仏さまに会えるのは、どういうときなのかな。
それはきっと、ありのままに、見ることができるようになったときだね。
そういうまるるんに、なりたいな。