はにっつぁま(土津公)
「土津公」と書いて、「はにつこう」と読めるのは、会津の方を除いては少ないかも。
今では、お年を召した方でも言わないかもしれないけど、
土津さまが訛って、「はにっつぁま」・・・ 敬愛のこもった呼称です。
この方、会津松平家の始祖、保科正之は、名君と言われるすご~いお方だったのです。
でも、いかんせん、明治維新で会津が逆賊とされてしまって、
140年ばっかり前に、日本史の表舞台から引きずりおろされてしまっていました。
家光の異母弟でありながら、数奇な幼年時代を送ります。
その誕生から、晩年まで、いろんな困難が彼を襲いますが、
でも、幼年時代は周囲の人たちが彼を守り抜き、
彼自身も、いつも工夫(思考)と努力を重ねていきます。
藩主となってからは、領民をおもい、
また、徳川家をおもい、
「無私の人」と、絶賛されたりもします。
久しぶりに彼が主人公の、中村彰彦の作品「名君の碑」を読み返しました。
「名君」すぎて、いやだとおもう人もいるかもしれない。
でも、このひたむきさは、どこかで菩薩につながるなあ、とおもいます。
確かに、家光の異母弟でなければ、そして高遠保科家に養子縁組されなかったら、
その業績は、実行にうつせなかったとおもいます。
苦しい人生であっても、この環境のなかにあってこそ、
「名君」になりえたのだとはおもいます。
小説の中で正之は、
ー天命を知る者は、天を怨みず。
ー天命を知る者は、惑わず。
という成句をあげてから、「天命」について、こんなふうに語っています。(改行を適宜いれました。byまるるん)
命とは天のつかさどるものなりと知る者は、おのれの悲運を嘆いたり物に動じたりはいたさぬ、というのだな。
これらは感服するに足ることばではあるが、ちと飽き足りぬところもある。
・・・(中略)・・・
これらの成句の難点は、天命の一語にかこつけてはいるものの、
しょせん人を慰め、 世を諦めさせることばにしかなっておらぬということだ。
そこでいま少し天命とそれへの対し方を諭してくれる聖人の教えはないかと考えたところ、よいことばを思い出した。
それは五経のひとつ『礼記』にみえることばでの、こういうものだ
といって、次のことばを口にします。
-誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり
これを次のように解釈して、正之は語ります。
誠実に生きることこそが、天に適う道である。天ではなく人を主体としてそう発想しなおすことによって、
この成句は、天命とはただひたすら受け入れざるを得ない定めとしてではなく、
人が切りひらいていけるゆけるものなのだ、と語っている。
立派すぎる言葉で、まるるんには程遠いし、誠実に生きてもいないけど・・・
「天命」に従うのは、決してそれしか選択肢がないんじゃなくて、
かといって、それが一番楽チンなわけでもなくて、
でも、一生を終えるとき、それが消化できてたら、心置きなく瞑目できることかなって思うの。
そして、ひたむきに「天命」を果たした正之を、
大変なことでも達成できていくことに喜びを見出しているようで、
これって、観音さんの「遊戯」にあたるような気がするの。
気持ちの良いため息とともに、読み終えました。