私たちが、生まれ持った資質。

 
今日、本屋さんで茶席の禅語の本を眺めていたら、懐かしいのにであった。

「無作妙用」

これは、碧巌録六十二則のところで、本文の前に出てくる

 無師(むし)の智(ち)を以(もっ)て、無作(むさ)の妙用(みょうゆう)を発(はっ)し、
 無縁(むえん)の慈(じ)を以(もっ)て、不請(ふしょう)の勝友(しょうゆう)と作(な)る。


これは、以前とあるテストに出題された問題でもある。
碧巌録から1つ出るという、出題範囲であったけど、
時間的にいまさらそんなこといわれてもね~、と初めから捨ててかかってたの。
つまりは、全然読まなかったってことです~~~。


問題は、3つの無の部分の意味を記述せよ、だった。

記述問題だったので、問題も読まずに後回しにしたんだけど、
落ち着いて読んだら、何てことなく、解答できました。

 誰から教わったものでもない知恵
 「こうしなくては」という思いもない、自然な行い
 自分に縁がある・なしという判断をしない慈悲

っていうようなことを書いて、3つとも丸をもらえました。


今のまるるん用語でいえば、

 湧き出ずる知恵
 湧き出ずる行動
 湧き出ずる想い

って表現したいところです。

ほんとうは、私たちが、生まれ持った資質。
ほんとうは、誰もが、魂の奥底に持っているもの。
だけど、いったん蓋をしてしまったら、なかなかあらわれないもの。
ふと、自分の損得勘定から離れた時に、自然に湧き出てくるもの。
そして、自分自身に、心底問いかけたら、必ずや姿をあらわすもの。


もっとも、不請の勝友になれる自信はない。
自らすすんで友達にはなれるけど、

 「勝友」 勝れたお友達にはなれそうにない・・・。

無理だよな~。