小三治師匠の訃報

 

爺ぃが高座を生で楽しませて貰えた、数少ない噺家だ。

 

生真面目…他人に強要はしなかったと推測できるが、曲がったことはとても堪えられない性分だったのではないか。

その一方で、臨機応変で物事を納めるための手の内は、師匠の頭の中の薬箪笥の沢山の引出しに、きちんと仕訳けて収まっていたと思う。

てやんでぇ!と電光石火で口を開く訳ではない。一呼吸おいた後で、文句なしドンピシャの処方を目の前に示したろう。

真っ直ぐ筋が通っているが、度量は大きな人…噺を聴いて別に演目には関わりなく、そんな心地よさを感じた。

 

勿論バイクのツーリングなどでは、自分が楽しむのを妨げない程度に、第一次選択薬よろしく箪笥から救急箱にピックアップしていたろう。何よりも、一緒に旅する仲間たちのために…

 

今はコロナ禍で活動自粛中のオシドリ池の大学の落研の高座を聴いても、今一つ思い切り笑えない。

まぁ、筋を熟知している普遍的な噺が多いからと思ったが、何年か前にあぁと気がついた。

間が短い。漫才の間髪入れずの笑いを想定しているのか…噺家にもよるが、無言の間があって、各々客が腑に落ちどっと笑いが…という隙がないようだ。