教会の近くまで迂回してみた…メタセコイアのいない風景

 

伐採されたと聴いた。そこにいないことに胸が痛んだ。無い ではなくて 居ない ことが。

確かに、門の真正面に玄関(入口)が見える。いつも歩道からしか眺めていなかったので、ああ、完全に視野を塞いでいたのだとわかる。

あの樹が聳えていることで、変則的だった礼拝堂脇の芝生も、ただ真っ直ぐに整備されていた。

初めて訪れる人は、礼拝堂の美しい全体を余すことなく眺めるだろう。

だがあの樹が静かに、しかし礼拝堂の塔を護るように聳える姿を知る自分には、ひどく間抜けに見える。

緑色の欠けた礼拝堂はすっきり見えるが、ひどく生命力に欠ける。あの整いきらない円錐形も、命の躍動を、直線で構成された礼拝堂に添える役目も、果たしていたのではないかと…

 

それなりの理由(安全面の配慮か、玄関に真っ直ぐ向かう妨げと判断etc.)で伐採したと思う。況してや、信者でもない自分にとやかく言う権利はない。

 

築50年を超す木造住宅は、敷地の半分を庭にしていた。取壊され、駐車スペースを残し敷地ギリギリに無機質な建物、駐車スペースもロードヒーティングで土は見えず、緑の全くない家が快適と感じられているのか…

何か豊かさが足らぬ気が…