マグノリアの風(1)

 
去年の梅雨どき、わたしはちょっと思い出深い体験をしました。

出張先で、思ったほどの雨に見舞われることもない毎日をすごしていました。
ふと思い立って、ある人が亡くなった場所を訪れてみたのです。

JRの駅を降りて、傘を差すほどではない僅かな霧雨のなかを、
わたしは少し急いで、歩いていきました。
程なくその霧雨も上がって、でも夕暮れには少し間がある時刻でした。

植物園というべきか、庭園というべきか、その広い敷地のすぐそばを目指し、
わたしはちょうど、その敷地の外側を取り囲む道を歩いていたのです。

その場所は地図としては頭の中に入っていてわかっているのですが、
うまくたどりつけるかちょっと自信がありませんでした。
道なりに歩いて、広い道に出てもう少し歩いていきました。
ええと確かここから…と自問自答したその時です。

突然、今まで静かだったその広い敷地のほうから、強い風が吹いてきたのです。
大きな木々の枝が一斉にざわめいて、えっ?と思わず足を止めてしまいました。
ちょうどそこは、今は使われなくなっている、閉門したままの入り口でした。

その時、その風と一緒にいい香りがわたしをふんわりと包みこみました。
絹のとてつもない大きなスカーフが、すぐ近くで舞ったような、
髪が流れるほど強い風ではあったけれど、音とはうらはらの風なのです。
微かに甘いけれど、どこかキリッとしたところもある香りに、
わたしは目を丸くしたまま、あたりを見回しました。

その香りは、例えば悲しみや苦しみに打ちひしがれているときに、
その事態を思い切ることができるように思えました。
変な表現だと思いますが、それを忘れるでもなく、乗り越えるでもなく、
その事態の存在を認め、でも、それにとらわれることがないといえそうです。

ほんの5秒にも満たない間に、わたしの中にそんな思いが湧き上がりました。

風はその見えないスカーフを乗せて、スルリとわたしが立ちすくんだ場所の、
斜め前をしめしました。ああ、写真で見たことのある風景です。