夜道で会ったおばあさん

 
夜道の暗がりで、知らないおばあさんに突然話しかけられた。

「あれ、タンショウトウですか?」

へ?なんだろう、それ。

「あの、空を照らしてる…」

指差す先は曇っていて、低い雲を、多分どこかのパチンコ屋さん(!)の
サーチライトがくるくると回りながら照らしてる。

「あ、パチンコ屋さんのライトじゃないですか? 遅いのに迷惑ですよねえ」

と、返事をした。

「ああ、タンショウトウじゃないんですか。空襲でもあるのかと、怖くなりました」

「大丈夫ですよ、飛行機の音も聞こえないから…」

そういって、別れた。



歩きだしてから、不意に悲しくなってきた。
あのおばあさんは、もしかしたら少しぼけてきているのかもしれないし、
こんな遅い時間に、出歩くこともなくて、
サーチライトに気がつかずにすごしてきたのかも知れない。



でも、仮に70歳だとしたら、終戦の時に10歳ほどの少女だ。
もう少しお年だったら、お年頃の娘さんだったかもしれない。

身辺の男性の多くは出征し、
おばあさんは、どこかの土地で空襲におびえて暮らしていたのだ。

なんて悲惨なことだろう。
周りがみんなそうだったからって、悲惨なことには変わりない。



私たちは、銃弾が飛び交ったり、飛行機に爆撃された体験はない。
これは、本当はとっても恵まれてることなんだと、改めて気づいた。

この地球の上で、あのおばあさんと同じ悲惨さに出会っている人たちがいる。
兵器でなくて、飢餓や伝染病におびえている人たちがいる。

私は、急に涙がポロポロこぼれてきた。



振り返ったけど、もうあのおばあさんの姿なんて見えるわけがない。

だけど不意に、あのおばあさんって、
私にそのことに気づかせるためのお役目を、
ほんのさっき果たしてくれたんだなあと思った。

「まるるん、わすれてないかい?」って。


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そういえば、この前フォーククルセイダースの唄を聴いた。

♪野に咲く花の 名前は知らない

という唄だ。

出征して亡くなったお父さんの顔を知らない、そんな子供達が、
成人していった時期にあたる。

そんな悲惨な思いを、わたしたちは二度としてはいけないし、させてもいけない。



誰がいったかわすれてしまったけど(今度ちゃんとしらべますね)
「戦争なんて、勝っても負けても人が死ぬだけだ」って。
愚かしいことなんですよね。これを忘れてはいけませんよね。