梨木香歩の「裏庭」読み終えました。

 
今日は夕方から突然暇になってしまい… あ~、悪夢の週前半はどこに行ったんだ??



読みかけのままになっていた、「裏庭」を読み終えました。
そうそう、はなしの途中で、「ハシヒメ」という名称が出てきて、
ああ?? 橋姫さん? とそっちのほうに話しがいっちゃうのかと、
危惧いたしましたが、大丈夫… ちゃんとファンタジーでした。


読んでる間は、なんか雰囲気が、辻万里子の
「22を超えてゆけ―宇宙図書館(アカシック・レコード)をめぐる大冒険 」に似てる気がした。


話の内容が似てるって事じゃなくて、
傍目からは変わった女の子に見られてる子が、
一種、奇想天外にもおもえる流れの中に身をおいて、
でも、それをひとつひとつ、受け入れていくの。
受け入れていくことによって、新しい展開に踏み出していけるのね。


ああ、もうだめかも知れないという目にあいながら、
でも、進んでいくの。
こういうのって、男の子より女の子に向いてるのかもしれない。


読み終わったら、あ~ヤレヤレと一安心。寝転がってしまいました。





女性はね、半分他人の赤ちゃんを、ちゃんとおなかの中で育てるの。
生まれてからあとは、いくらでも男性が育児に力を貸すことはできるけど。

生まれてくるまではね、お母さんの身体が頼りなのよ。


もちろん、男性の中にも母性はあります。


さっき気がついたんだけど、母性っていうのはさ、
否定することなく、受け入れていくことなんじゃないかと思う。




受け入れることができるってことは、
それだけのキャパシティがあるってことだけど、

そういう意味のキャパシティって、仏教でいう「空」だと思う。

日本には、中国経由で仏教が入ってきたから、
そこに老荘の「無」が混じりこんでしまっているけど…

「空」はね、何にもないって事じゃないの。
必要なものはちゃんと揃っている、そして要らないものは何もない状態。
手っ取り早くいれば、よく片付いている状態が一番近いかな。


片付いた状態の中に、いろんなものを受け入れる。
否定しないけど、溺愛もしない。
ただ静かに育んで、手放すべき時に、なんの躊躇もなく送り出す。




そういえば、「西の魔女が死んだ」のロードショーが始まってますね。

おばあちゃんの「I know…」 ええ、わかっていますよ… が胸の中に響いています。
そう、「I know…」も、「空」の状態で言える言葉でしょうね。

そして、おばあちゃんからの最後のメッセージを読んだ時、
涙をポロポロ流した私は、「赤毛のアン」をはじめて読んだ頃の私に戻っていました。



映画も見たい気がするけど、この週末にラストスパートかけて仕事する人たちのサポートで、
やっぱり、PC立ち上げて、待機してなきゃならないだろな…




そうそう、次は「家守綺譚」を映画化して欲しいですよね。
シリーズにして、何作にも分けて、全部映像化してほしいな。

でも、カッパの子とか、鮎になった侍女とか… 
ゴロー(犬)が大きな鳶に乗って朝帰りしてくるとか、撮影はたいへんそうだなあ。