「怒る」のではなくて「叱る」

 
子供が周囲の人に迷惑をかけるような行動をしている時に、
「怒られるから止めなさい」と諭してる(本人、例えば親はそのつもりでいる)のに遭遇する。

大騒ぎをして、よそ見をして走り回った挙げ句に、高齢の女性のついた杖に足を引っかけて、子供は転びそうになった。

杖が頼りの女性は、膝をついて倒れかけた。
さすがに、慌てて支えた連れの男性は、子供に多少きつい口調で注意した。

詫びもせずに、子供は母親のところに逃げていく。
振り返った母親の、第一声にあきれる。
「ほぉら、怒られた。あんたが悪いのよ。あたしの言うこときかないから。ざまぁ見ろ!」

子供が転ばせた女性に詫びもせず、子供の手を引きずるようにして、母親は立ち去っていった。
子供は子供で、穢い言葉で注意した人に悪態をつきながら、引きずられていった。

母親が子供に代わって詫びるか、出来れば子供自身に詫びさせることが何故出来ないのだろう。


連れの方は、多少は語気がキツくはなったが、怒ったのではなくて注意し(もしくは叱っ)てくれたのに。


他の人に「怒られるから」ではなくて、
その子供の行動が、周囲の人に非常に迷惑だから、
そういうことはやってはいけないのだと、
ちゃんと親が諭し、叱ってほしいと思う。


「怒られるから云々」は周囲の叱ってくれた方への、呆れた責任転嫁だと思うが、どうだろう。

怒るのは感情だけれど、叱るのは理性だと思っている。