中村紘子さん

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どんな方でも、亡くなられたと知れば、残念だと思う。

その方が努力を重ねて、最大限に才能を発揮して、
結果として聴くの人たちの心を、楽しませ、慰め、励まし、寄り添うことで、
沢山の人たちの心を、豊かにしてきた。

別に、ご本人はそんなことには頓着なく、
ただ一心不乱にピアノにうちこんだだけ、と仰るかもしれない。

でもその才能は、肉体と共に活動していた才能は、いったん喪われる。


ほんの200年前なら、作曲家はスコアを遺せたが、
演奏家は、音を遺せなかった。
今なら、音源を遺すこともでき、演奏している動画さえ遺すことができる。

再生装置が、媒体の再生対象の後方互換性を保っていれば、
あの小柄な中村紘子さんが、あの大きなピアノを自在に操って、
囁かせ、謳わせ、叫ばせた音と響きと、彼女の演奏する姿に、
画面を通してだが、会うことができる。


けれど、新しい音を響かせてくれる、その才能は眠りについてしまった。


中村紘子さんといえば、わたしにとっては、ショパンと深く繋がっている。
遂に、一度もコンサートに行くことは叶わなかったが…

わたしは、仔犬のワルツが大好きで、紘子さんの演奏を目を閉じて聴けば、
プレイヤーからヤンチャなコロコロした仔犬が、元気よく飛び出してきて、
一生懸命に、自分のしっぽを追いかけていた。

幻想即興曲ポロネーズマズルカ
ノクターンを聴いて、気持ちを洗われた気がしたことも、数えきれないほどある。


荒んだ気持ちになったとき、やり場のない怒りや哀しみの渦中にいるとき、
エチュードの革命や木枯しは、ただわたしの気持ちに寄り添い、
爆発破裂しそうな心を鎮めてくれた。


紘子さん、ありがとうございました。