中学生の時の、冬の登校は…

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これは、多分カツラの古木。
推定は、落ち葉から漂う甘い香り。
根元のヒコバエの若い枝は、まだ緑の葉で頑張ってる。
っていうか、まだ栄養が行き渡らない?



今朝は、快晴!
歩道の水溜まりは薄氷。


すれ違う生徒たちは、寒そうに肩をすくめてる。
一方、児童たちは結構元気。

エネルギーの差と、服装が自分の体温に合わせられるからだろうな。



中学生のときはセーラー服だった。
で、家事都合により、オーバーは持ってなかった。
小学生のときから持っている、赤いマフラーを巻いて登校したら、
わたし個人に対してではなかったけれど、
マフラーは何かに引っ掛かったりして危ないから、コートのなかに入れるように、とお達しがあった。

はぁ?何に引っ掛かかるんだ?
そんな、後方1メートルになびかせるようなことないし、
風でバタバタしたら、自分でおさえるわい!
安物とはいえ一張羅のマフラーなんだから、北風で飛ばされたら一大事だわい!

が、とにかく駄目です!で、
かくして、セーラー服の襟元にマフラーなしで、
放水路の土手の上を北に、毎朝歩く羽目になった。
今思えば、ひでー話だよな。

まぁ、所謂反抗期に差し掛かってたわたしは、
学校にも母親にも意地をはって(てやんで~べらぼうめ!)、冬を乗り越えた。
無事、皆勤だったのは凄かったというか、成せばなる?
はたまた、ご先祖さまのご加護かな?


土手の上を通っていくと、かなりショートカットなんだよね。
だからとにかく、歯を喰い縛って、身体を最大限に強張らせて歩いてたよ。
筋肉を緊張させて、体温を上げるという本能だわね。
教室にたどり着いた時には、顔が冷たさと乾燥で真っ赤だったよ。金太郎にも負けないかも?
(今思うと、あれはクリームを塗っとくべきだったね、持ってなかったけど)


ただ、その代償か、その後の貧困な食生活&ストレスのせいか、
二十歳を過ぎたころから、寒さにこの対応をすると、心臓が痛い。
(母親の家系は心臓に難があるので、無理もないか)
痛いけど、身体は寒さの条件反射でこうなっちゃうんだよね。

さすがに、最近はヤバイかも知れない、と早めに寒さ対策してる。
この街は、寒さも意地で凌げるような半端さじゃないし…
朝の飲み物には、最近は必ず、シナモンかジンジャーのパウダを入れる。(わたしには安全な血管対策)



あぁ、思い出した。
快晴の空、水溜まりの氷、セーラー服だったころの、東京のお正月前後の風景だった。

今、東京にいったとしても、同じ風景はもうなくなってるけどね。

この街では、雪の季節には快晴はなかなかないし、
第一、歩道は踏み固められた雪の下だもん。

あ~あの三年間、ずいぶんエネルギーの無駄遣いしたね。
いつもお腹がすいてたのも、当然かも…