大規模に、複数のシステムの不具合…、何の暗示なのか…

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イヌサフランが咲けば、秋。


ここ最近、年金機構の情報流出、メタボ検診の検証システムの機能、NTTのカード決済、Yahooメールの消失と続いている。

それなのに、マイナンバーは粛々(!あきれている!)と実用に進んでいる。


個人情報はどんどん曝されようとしている。
逆にいえば、行政は情報を把握することで、安心しようとしている。


例えば、健保と投薬について、
特に複数科を受診している人の、投薬重複を検出するために利用したい、と。

その利用は「医療費削減のため」だというけれど、
それは、財政にかかわる視点だよね。

重複投薬や、薬の相互作用の副作用など受診者本人の不利益を回避するのが、本当の目的じゃないの?

もちろん、投薬については、すでに、
カードや手帳で薬剤師さんたちが気を配ってくれている。
それが完全に統合されるのも、よいことかもしれない。

けれど、「医療費削減」の名目でその個人情報が、簡単に、本人の同意もなしに、
行政から把握されるのは、非常に不愉快だ。


言葉のあやだといわれそうだけど、もう一度いいたい。

「国民が快適に過ごしていくため」が目的であって、
「医療費削減」は、そのハッピーな副作用であるのだと、
しっかり胸に刻んでほしい。

副作用を目的とはき違えてはならない。本末転倒とは、当にこのことだろう。


わたし自身の言霊がいいかといえば、あんまり胸を張れないけど、
言霊は大切だ。

「重複投薬や副作用を回避して、まず服薬によって少しでもよい状態になって、可能ならば服薬から離脱してほしい」
まっとうな目的だとおもいませんか?

「そのぶん、無駄遣いしなくてすむので、
現在医療機関を受診していない人たちに対しても、
健康維持のために行政から提供できるサービスも増える」

不調を抱えていない高齢者の方たちには、
よい形での就労をお願いできるようにするため、
その活動に使う予算までに転化するためには、
予算の取り合いをしている状況では、まだ期は熟していないか。



単純な仕事はコンピュータに任せて、
人間がもっときめ細かい配慮や作業をやるための時間を作るのでなければ、
お金をかける意味がない。

ここのところを間違えていて、人件費削減と利益を目的にすえてきたのが、
官民問わずに、あちこちでITを大幅に拡大して、更に傷を大きくしている理由だろう。


本当に目指すのは、お金ではなくて、ハートでなければ、
所詮うまくいったところで、成功にみえてもお金しか動かない。

大体はハートの部分が不足しているぶん、
それに比例してユーザ側も開発側も、まずお金の大きな損失を抱える。
最初に自分サイドの利益ばかり考えていれば、尚更だ。

ユーザ側は、全く金額に釣り合わない機能しか得られず、
開発側は、いわゆる足が出た状態でプロジェクトを終える羽目になる。

足が出たぶんを回収するために(結果としてほぼ無理)、また膨大な時間が費やされて、
末端で作業しているエンジニアが犠牲になる。
(実際、我々はほぼ「物」に等しい、使い捨てである)


ユーザが公的機関であれば、
国民は、まるでどぶに捨てるように使われた税金に、
呆れ果てるしかないのが実情だ。

そういえば、特許のシステムで本当にぶざまなのがあったけど、
あれも、そのシステムに関わらなかったごく普通の国民にとっては、
税金の札束を、こっそり、延々と焼き捨てられたようなものだった。


ITに限ったことではないが、歴史は繰り返し、経験からは学ばれていない。

嘆いていても始まらないけれど、この時期にまとまって耳にするということは、
イエローカードは無視され続け、レッドカードももはや何の効力もないということだろうか。
発覚したのは、すでに複数のイエローカードのレベルではないのか。


ま、所詮人間の作ったルール。
破るのも、また人間だろう。

現在、三権の立場を全く弁えずに、
力でルールを破ろうとしている政府には、もはやわたしは信頼をおけない。


なんてブログに書いているのも、遠からず監視されるんだろうなぁ。
あぁ、やだやだ…