松の実の殻の中には…?

 
この前、遊歩道で拾って、一粒ずつに分解した松の実。
ラジオペンチで、殻を丁寧に割って食べた。

わたしは、ピーナッツの薄皮がついてるほうが好きなので、殻から出したままで食べてみた。
きゃあ!とっても、うまうまだぁ!幸せ~



もひとつ、薄皮もはがれないように、丁寧に割った。
さっきのより、ちょっと大きい実が登場。

噛み砕くと、女の人の声が記憶の中から甦った。
「松の実を刻んで、おすましに散らすの。
おつゆの実は、それだけのほうが美味しいわ。」

誰なのかが、おもいだせない。
ただ、それを聞いたのは子供の頃だと、何となく覚えている。
来客だったのかもしれない。


今から思えば、最初その人は、会席料理などで途中で出された、
箸洗いのことを言ってたのかもしれない。

ただ、そういうおすましが好きなのに、
松の実なんて贅沢だと旦那さんに怒られて、
自分のうちで作れない、と嘆いていたようだった。



今は、スーパーでも簡単に手に入る。
だけどその頃は、高かったのかもしれないし、貧しかったのかもしれない。

その人が、誰なのかもわからないけど、殻のついたこの松の実を、
片手に乗るくらいの山盛りにして、渡してあげたいなと思った。



何だか、懐かしい気分になって、もうひとつ、丁寧に割った。
わぁ、もっと大きい実が現れた。

噛み砕くと、樹の枝で充分に熟した、豊かで温かい雰囲気の味がする。
高級中華料理店か、漢方薬局でしかお目にかからないレベルかも?


胸の中がみるみる暖かくなって、幸せな気持ちになった。
それなのに、大きな涙がポタポタおちた。

18の時に亡くなった父親に、食べさせたかったな。

別に、父親が松の実を好きだった訳ではないけど、
亡くなる迄、ずっと貧しい我が家の食卓だったから、そんなこと考えることもなかったけど、
わたしがゆっくりと殻を割る松の実を、一粒ずつつまんで、父親がゆっくりお酒を呑む、
そんな日があっても、よかったはずなのにね。


お店で売ってる松の実を、袋から出してたべるだけじゃ、
こんなふうな想いに浸る時間は、一生なかったかも。
松の実の殻の中に、不思議な空気が入っていたのかな?

あの日、遊歩道でこの松毬を拾ったのは、この小さなインナートリップ(?)のための、
必然の巡り合わせだったんだね、多分。

ありがとうございました。