「因果応報」って・・・

 
お正月早々、なんだかなあ~、の話題ですみません。

ただ、テコテコ歩いているうちに、あれ?って気がついたんで、
やっぱり、書いておくことにします。

よくある話なんですけど、
Aさんが、Bさんにひどい噂をながされている、自分は被害者だって、ふれまわってる。
Bさんは、自分は事実を語ってるだけで、Aさんが自分を嘘つきよばわりすることこそおかしい、って。

まあ、Aさんの話「だけ」を聴いていれば、Aさんは哀れな被害者でしょう。
Bさんの話「だけ」を聴いていれば、Aさんこそがとんでもない嘘つきということになります。

そんなことがあった後に、Aさんが一方的に勝利宣言をしました。
自分がどのように被害にあったか、その現場を押さえた、ということらしいです。
Aさんが仕掛けた罠に、Bさんが痕跡を残したのだと。


でもね、Aさんの仕掛けた罠って、通りすがりの人は皆、痕跡が残るものだったんだよね。


まるるんも、2人の界隈を通りすがる人の1人だったから、疑われたわけだ。
随分前から、なんか妙な感じはしてたの。
例えて言えば、携帯にかかってきた私用の電話をうけるのに、廊下にでて、
短時間で戻ってきたのに、机の上が、微妙に違う・・・って感じかな。
別に、物がなくなってるわけじゃないし、でもなんか私らしくない配置。

まあ、それはね、私の勘違いかもしれないけどね。



雪道を歩きながら、ふっと気がついたんですけど。

これって、「因果応報」だよね、きっと。

まず、私には関係ないや~って、無用心に歩いてた、という「因」により、疑われたという「果」。
これはまあ、間抜け以外の何物でもありませんね。とほほ・・・


例えそれが全て真実であったにしても、それを公開してしまった、という「因」により、
糾弾(?)される羽目に陥ったという「果」。


じゃあ、Bさんだけが悪業悪果なんでしょうか・・・


Aさんは、文字通り「たまたま通りすがりの被害者」なんでしょうか・・・


そもそもの種を蒔いてしまったのは、Aさんですよね。
自分は何にもしてないと主張し、自分は被害者なんだと主張してる、Aさんですけど・・・
そもそも何もしていない、というのは変な主張ですよね。

あの、失礼かも知れませんけど、それって文字通りの「因果応報」じゃないでしょうか・・・


他の方ならいざ知らず、「因果応報」の通り一遍の意味だけしか知らないとは、言わないですよね。

Bさんに「因果応報」を当てはめたのなら、否応なしにAさん自身にも「因果応報」が当てはまりますよね。
Aさんが主張する「被害者」になる「因」は、Aさん自身の行動だったのではないんでしょうか。




ふう。なんか、すっきりしないな~~。

実は、「因果応報」はシンプルなんです。
善因善果、悪業悪果と分けて考えるのではなくて、ただ、「因」によって「果」がある、と。
インド菩提樹の下で、ブッダが悟りを開いたときの、中核をなすものだったはずですね。

あ~~、いかん。まるるんの頭の中で、GパンはいてTシャツ着て、結跏趺坐してる・・・
そこに、眉毛の濃ゆい梵天さんが・・・う~む、「聖★おにいさん」から抜けられない~~


ところで、「善因善果、悪業悪果」ということを、何らかの形で誰彼なく教えられてきましたよね。
良い行いには、良い結果(報い)がついてくる、∴良いことをしましょう。
悪い行いには、悪い結果(報い)がついてくる、∴悪いことをしてはいけません。

ただ文面どおりに受け取ると、
自分のやったことは自分の身に返ってくるから、こうしなさいといわれてるのだけど・・・

じゃあ、良い結果が欲しくって、よい行いをするの?ってストレートに質問して、
まるるんは、思いっきりいやな顔をされた。

まあ、気持ちはわからないでもないけど、でもでもね・・・

良いことをするって、その行動自体が、本質的に自分がうれしくて、誇らしくて、幸せなんじゃないかな。
そういう意味で、自分の身に返ってくるのには違いないけど、良い結果を期待するのは、何か違う気がする。

逆に悪いことをするのって、原則的には、自分以外の誰かを苦しめることだよね。
すぐには、自分の身に返ってはこないけど、いつか吾に返ったときに今度は自分が苦しむんだろうね。
ただ、一生、吾に返らない人は、そのまま苦しまないんだね。
そうか!不思議だね。良心が発露した人だけが、自分の悪い行いを思い返して苦しむんだね。


だったら、「悪業悪果」に苦しむひとに、「ざまあみろ」なんて言っちゃいけないよね。

口に出しちゃいけないけど、「ああ、気がついたんだね。よかったね・・・」って、心の中で呟こうよ。