まるるんの卒業式

 
指折りかぞえてみたら、幼稚園から、
トータル5回卒業式があったけど、
うちの親が来たのは幼稚園の時だけだった。

まあ、普通は母親がくるケースが多いと思うんだけど、
私が小学校高学年の時に、母が大病していらい、
親が学校の行事に顔を出すことは、まあ無理だと納得してしまった。

以降、進路を決める中学と高校の時の三者面談でさえ、
クラスでただ一人、二者面談で通してしまった。


親も「どうする?」と、訊ねてもこなかった。
一応、学校では、しっかりものでとおっていたせいもある。
まるるんも、淡々と「こなくていいよ」で済ましていた。

もともと、母親は来る気はさらさらない。
「来れるかな」などと言おうものなら、
「行けないのは、わかってるだろう」と、睨みつけられるのがせいぜい。
「誰のおかげで、ここまでできたと思ってるんだ」と、説教のおまけもつくし・・・
はいはい、合格も入学も卒業も、祝っていただかなくて結構です。
十分でございます、と胸のうちでつぶやいておく。



でも、クラスメイトの親から、
「あら、おうちのかたは?」と言われるのがいやだった。


それぞれに明るい陽射しの日だったような記憶があるんだけど、
夢の中の卒業式の日は、いつも薄暗い。


それでも、思い出す限り、
小学校も中学校も高校も、名前を呼ばれて起立するときは、
誰に見せるでもなく、誇らしかった。自分自身に、誇らしかった。
新しい世界に旅立つ、その切符を握りしめてる気持ちだった。


あれはあれで、過去でしかないし、別に悲しい思い出でもない。
自分が、飛びぬけて不幸だとも、思わないでもいられた。
ただ、ひとつ卒業式を終えるたびに、
当たり前から年月ごとに離れていっている自分を、確認しただけだった。


卒業式は、別れだけれど、
振り返ることよりも、前をみつめていた、強気のまるるんだったなあ。