『おくりびと』と、「また、会おうね」・・・

 
近場での上映が13日までと知って、あわてて観にいきました。

一番心に残ったのは、残念ながら、もっくんのシーンではありませんでした。
この前の『禅 ZEN』で道元の眉間のしわを、指で伸ばして笑い飛ばしていた
老典座を演じた笹野さんの演じる、火葬場に勤務する人の科白。

死は終わりじゃなくて、次に進むために通過する門なんだ、と。
「また、会いましょう」と声をかけて、送り出してあげるのだ、と。


ああ、そうだねえ。
まるるんが思ってたことは、間違いじゃないよねえ。
そう、しばしのお別れなんです。地球とか宇宙の時間でいえば・・・



「また、会える」っていう科白で思い出すのは、
亡くなって随分たちますが、
脚本家の結束信二さんという人の書いたものです。
ご存知の方もいるかも知れませんが、
結束さんは戦争末期、特攻隊員を送り出す立場の人でした。

「また、会おう」は、もう今世では果たせない約束なのです。
会うのは、来世なのです。
また生まれ変わって、また会いたいね、と。

すごいですよね。
生まれ変わっても、また会って、また共に生きたいって思わせる人。
執着とは別の、確信みたいなものなんでしょうね。

でも、原作はね。
「生まれ変わるなら、今度はお前みたいになって生まれてきたい。」
っていうような科白があるだけなんですよ。



おくりびと』で、
「また、会いましょう」と声をかけてあげられる、
あのおじさんの、かかわりを超えた心境が、
なんだかまるるんの肩を、
無言でポンポンとたたいてくれたようでした。
 

 
そしたら、不思議なめぐり合わせ。
映画館の近くに以前出入りしていたところがあって、そこによってみたら、
多分もう会うこともないだろうと思っていた人と再会。
その方は、たまたまその日に来ていたんですね。
偶然のシンクロってわけですね。