胸臆虚明、神光四発

 
節分の鰯の匂いに誘われて、布団から這い出したまるるんです。
ん?夢だったのかあ?
仕方なしに、鯖の水煮缶をたべました。

味噌煮より、こっちのほうがシンプルな味で、子供のときから好きです。
今日はキャベツがないのですが、キャベツの千切りの上にカパッと乗っけて、
ほんの少しお醤油をたらしていただきます。(香り程度ですね。)
煮汁(?)のからまったキャベツがおいしいんだけどなああ。ジュル…



タイトルは、佐藤一斎の言志四録のうちの言志録にあります。

胸の中(心)がすっきりと片付いている人は、その人の精神の輝きが外に現れる。

といった意味合いです。


まるるんは、以前ある団体に所属していて、そこの講演会で、言志四録の

胸中虚明、感応神速

という話があったのです。で、その時は、神様に通じる(感応する)という意味の講話でした。


まるるんは、幕末に興味があって(でも、全然、記事かいてないですね。)
言志四録の存在は、高校生のころから知ってはいたのですが、読んでいませんでした。
でも、突然気になって、気になって…、講談社学術文庫の4冊を買いました。(1冊千円以上した。)
今もって、全部読みきって(=理解して)はいないのですが、今日のタイトルの言葉が一番好きです。

今は、その団体を退会してしまっています。
というより不思議なもので、退会の遠因をつくったのが、その時期に読んだ、言志四録と華厳経でした。

華厳経のほうは、とても経典そのものにあたるだけの力はありませんでしたが(今も)、
鎌田茂男さんの本を中心に、文字通り、「華厳とはなにか」というルートで探しました。


そして、一人ひとりの中の、精神の輝きという素晴らしさ、ということに認識が落ち着きました。


胸臆虚明に保つこと、それはまるるんの苦手な、片付けることであり、必要であれば思い悩まずに捨てる(=忘れる)事でもあります。
それは、「空」の自分なりの理解へも辿りつきました。

必要なものは、ちゃんと揃っているんだよ、いらないものは何もないんだよ、うんうん。
そうして、一人ひとりの精神のひかりを、輝かせよう。
といったって、力んだり、つくったりして輝かせるものじゃないんだ。
よく磨いた窓ガラスみたいに、自然と本来の輝きが、外にあふれるんだよ。

輝かせるのは、自分をえらく見せるためなんかじゃないんだよ。
いまはいろんな事情で輝けないひとを、いま輝けるひとが照らしてあげて助けるためなんだよ。


弥勒の世っていうのは、みんながお互いのために、自分を輝かせている世の中なんじゃないかな。
弥勒菩薩さんが、弥勒如来さんになって、みんなを救ってくださるというのは、方便なんじゃないかな。

ひとりひとりが、プチ菩薩さんになれれば、それで十分なんじゃないの?
誰かが犠牲になるとか、そういうんじゃなくて、
自分も、誰かの世話になるんだから、今のうちに、という打算でもなくて、
困った顔の人が、笑顔になってくれるのがただただうれしいっていう、そういう世の中。



んんん、鯖の水煮缶の骨は柔らかくって、おいしい。ご馳走さまでした。