「西の魔女が死んだ」を観ました

 
念願(執念?)かなって、なんとか観にいけました。

さくらさんが封切り直後に、マジョラムさんも魔女ラムの名にかけて(?)観にいかれたようですね。


感動屋さんのまるるんは、もちろんウルウルしちゃいました。

でも、まるるんが突然涙ぐんじゃったのはね、
おばあさんが、ワイルドベリーの畑(?)のなかで、泣き伏してしまっているシーンなの。


おじいさんが亡くなって、その後に訪れた最初の誕生日に、
それまでは毎年、たいした量を収穫できなかったのに、その年からはたくさん実るようになった。
「おじいさんは、決して誕生日のプレゼントをわすれませんでしたからね。」って、
孫のまいにお話してる。

映画では、野いちごの中で、泣き伏しているかつてのおばあさんの姿を、まいは見るんですよ。

おばあさんは、悲しいんじゃないんですね。きっと。
「ああ、おじいさん、いまはもう亡くなってしまっているけれど、すてきなプレゼントをありがとう、
こんなすてきなプレゼント、私はとっても嬉しいです。」って、感激のなかで、泣いてるんですよ。

まるるん、そういう理由で泣ける人って、凄く好きです。
って、いうか、感性が似通ってるから、そういう人からもらい泣きしちゃいます。



まるるんが泣くのは、大体感激して泣いちゃうの。
悲しかったり、悔しかったりして泣くより、感動して涙ボロボロ流しちゃうの。
だから、小さい時は、泣き虫だっていわれてた。

せっかく良くしてあげたのに、何で泣くんだ??ってあきれられたけど、
例えば、凄く欲しかったものを、プレゼントしてもらったとするでしょ?
それも、しつこくいったわけでもなく、会話のすみっこで話したことを覚えててくれて、
さりげなく、叶えてもらえた時って、ほんとに涙ボロボロこぼれてきちゃうの。


おばあさんは、もしかしたら、「もっと実れば、ジャムをたくさん作れるのにねえ」と、
おじいさんに残念そうに言ったことも、何回かあったかもしれない。
お話のなかでは、おじいさんは、この野いちごのジャムが大好きだったから。



「魔女」の定義、いろいろあると思いますけど…

他の人を幸せに導いてあげることができること。
もう少し詳しく言えば、他の人自身が、幸せに向かって歩き出すことを助けられること。
そして、その幸せを願い、それが成就することを心底願うことができること。
そして、その幸せに向かって歩き出した姿を見ることが、自分自身の幸せに感じられること。


まるるんは、そう思ったとき、
「あれえ? ンじゃ、観音さんと魔女はいっしょ??」
と、泣きはらした顔を洗面所で洗いながら、妙なことを考えてしまいました…