花火大会を、遠くから眺める・・・

 
金曜日は花火大会がまるるんの街の河川敷であった。

その前の週の金曜日にもあったけど、これは眺めることもできなかった。

この2つが、定例のまるるん地方の夏の風物誌・・・

かたっぽは、テレ朝系のテレビ局と、全国紙の主催。
もうひとつは、フジテレ系のテレビ局と、地元紙の主催。

浴衣姿の人たちを、主要なターミナルでたくさん見かける日でもある。


まるるんは、街なかにいたんだけど、最初の週は、街路樹の大きな道から動けなかったので、
音ばっかりしか・・・ かろうじて、始まりのころに横断歩道をわたりながら、チラっとだけ。

2週目は、河川敷に出かける元気もなかったけど、見当をつけて、移動してみた。
大きな通りで、今は工事中で、以前あった樹木が1本もなくなってる場所がある。
会場との間には高いビルがあって、低い位置の花火は見えないんだけど、
高く上げる花火はオッケーのポジションが見つかった。


きれいだったよ。高く上げるのは、みんな上手に広がって、いろんな色のがあって。
今は、軌跡を描いて、それぞれ別の色のが同じ形を同心円状に描くのもあって、
数年見ないと(出張と重なると、何年も見られない)、見たことない花火もあるね~



でも、花火を見るたびに、そのうち涙ぐみながら思うことがある。
こんなに大きな音を聞きながら、こんなに火薬が消費されながら、
でも、夜空に広がっては消えてゆく、美しい花火を見ていられる私たちは、
とっても幸せな境遇にいるんだってことを。


地上を離れるときに使われる分の火薬は、花火の本体を高く上げるために使われる。
そして、打ち上げられた花火は、その火力と化学反応によって、色の違う光を作り出す。
歓声やため息と一緒に、その一瞬一瞬を私たちは楽しんでいられる。

綿密に、丹念に、丹精こめて、花火玉は職人さんたちが作っている。
文字通りの消えものなんだけど、大きな光の華が夜空に広がったときに、その誇りはどれほどだろう。

大きな音が苦手な子も、家族や友達の手を握り締めながら、夜空を眺めていられるんだ。



もっとすさまじい音を聞いている人たちが、この地上にいる。
それは、空に打ち上げられるんじゃなくて、雨でもないのに空から降ってくる。
降ってくるだけではなくて、爆発するんだ。
あらゆる物を破壊し、吹き飛ばす。やがて、炎が上がって、焼き尽くされていく。
美しいものは、何一つとしてない。



なんていう境遇の違いだろう。その人たちが、いったい何をしたっていうんだろう。
恐怖に打ち震えている人たちに、日本の夏の花火を見せてあげたい。
火器銃器の光、破壊したり傷つけるための光じゃなくて、
たくさんの人に、感嘆のため息をつかせる夜空のおおきなおおきな華。


愚かしい争いが、早くなくなりますように。